常照我
今から約三年前、ある言葉を初めて耳にした。「新型コロナウイルス」。
常に感染症の不安を感じながら過ごした三年は長い。変えざるを得なかった生活、諦めなければならなかった日常。私自身、気づかぬうちに変わり、大切なことを諦めてしまっていないか。
先日、久しぶりに電車に乗った。吊革につかまりスマホの画面に目を落とす。しばらくして私の前に座っている男性が激しく咳込みだした。思わず後退る。後ろに立つ女性にぶつかり謝った私に、苦しむ男性を心配する気持ちはかけらもなかった。
常照我。仏様の光は何事にも動じず、決して変わることなく常に我を照らす。日常を取り戻そうとする今だからこそ確かめたい。常なる光に照らされた私自身を。
(機関紙「ともしび」令和4年12月号 「常照我」より)

親鸞聖人のことば
さるべき業縁のもよおせば、
いかなるふるまいもすべし
『歎異抄』より(「佛光寺聖典」八〇二頁)
【意訳】
そうなるべき縁があったならば、どのようなふるまいでもしてしまう私なのです。
イライラ、クタクタ
先駆的な子育て支援事業を手がけるNPO法人の広報に、こんなエピソードがありました。
夫は単身赴任、頼れる実家もなく孤立した状況で、二歳半と一歳の子どもの育児に追われる専業主婦のAさん。
一日中三人でいると、上の子が下の子を度々いじめて泣かせる。下の子のオムツを換えている間に上の子がオムツを脱いで走り回り、粗相をする。毎晩の夜泣きもあり、ちゃんとした睡眠が一年以上とれずクタクタ。イライラして子を激しく怒り、思わず「お前なんかいらない」と激昂してしまう。そんな自分にハッとして落ち込み、もう限界…と自然と涙が流れる。
そんな折、NPOのモデル事業で、保育園での定期的な預かり支援を受けることに。子どもと離れる時間が取れ、一緒にいる時には逆に、子どもを本当にかわいいと思えるようになった、というお話でした。
うれしくても悲しくても
子どもを授かった時はうれしいご縁として喜んだ。なのに幸せの縁と思っていた子どもが苦の縁ともなり、辛く当たってしまう悲しさ。
思わず、思いもよらぬことをしてしまうのが私たちなのです。その時は問題ないと思っていても、後から愕然とすることもあります。まさか自分がそんなことを…という驚きと悲しみ。
親鸞聖人は、私たちを、縁によりいかなるふるまいをするか分からない、悲しい存在であると見据えられました。そんな私たちだからこそ、決して見捨てないぞという仏さまのお心が支えとなる。それがお念仏をいただいて生きていくことだと、私は受け止めております。
(機関紙「ともしび」令和4年12月号より)
仏教あれこれ
「オレ、バンガル」の巻
三歳半の孫、「次男のあるある」ですが、年長さんの兄貴にくっついてまわり、同じことをしたがって嫌がられています。ついこの前までは「フミヤにもやらせてー」と言っていたのが、いつの間にか「オレもやる」に変わってきました。兄貴の名前も、呼び捨てにし出しました。
反抗期の始まりでしょうか、思い通りにならないと地団駄を踏んだり、どこで覚えたか暴言を吐いたり、「もう、しーらない」とふてくされて隣の部屋にこもったり……子育ては大変です。
先日、運動会を前にして、兄弟で仲良く歌ったり踊ったりしてくれました。「うんどうかーいだ、チャッチャチャチャ」。
次男は目をきらきらさせて、「オレ、バンガル(ガンバル)」と叫びます。「ああいいなあ」と家族はみんな笑顔になりました。こんな幼児ことばを聞けるのは一時のことです。
「子どもたちがどんどん成長していくのも諸行無常ということですよ」と教えていただいたことがあります。
学校で習った『平家物語』の冒頭部分のせいか、平家が滅びていくマイナスのイメージを、「諸行無常」という言葉に抱きがちですが「すべてのものは例外なく変化し続けている」ということが本来の意味。幼いいのちも、また。
刻々と成長していく子どもたち、あまり早送りのように大きくならないで、ゆっくり今の姿を見せてほしいと思うのは、子育て当事者ではない、じいちゃんだからでしょうか。
(機関紙「ともしび」令和4年12月号より)
おときレシピ Vol.69「大根の柚子味噌田楽」

関東育ちの私にとって、寒くなると食べたくなるのが「おでん」です。たっぷりとお出汁を吸って美味しく煮えた具材にかぶりつくと、体だけでなく心も温まり、なんとも言えない幸せを感じます。
そんな「おでん」ですが、歴史を紐解くとなかなか深いものがあります。
もともとは平安時代、豊作を願って歌ったり踊ったりした田遊びを田楽と言ったのが始まりとされています。それが芸能として発展し、鎌倉・室町時代には田楽能として一世を風靡。その中の一つ、一本の竹に乗って踊る曲芸を模した料理として豆腐を串に刺したものもまた「田楽」と呼ばれ、広く好まれたのだとか。江戸時代には「田楽は昔は目で見、今は食ひ」なんていう川柳も詠まれたほどです。そこから、串をつけなくても豆腐や大根、こんにゃくを煮たものを総じて「おでん」と呼ぶようになり、今のかたちに至るという具合です。
さて、今回の田楽は串を使っていない現代の「おでん」に近いスタイルに仕上げたものに田楽みそを塗って焼いています。
料理を作るときも食べるときも、その背景にある歴史に思いを及ばせると味わいもひとしおですね。
(ワンポイント)
味噌を塗ってから焼くときにはできるだけ遠火で焼くといいでしょう。
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【監修】青江覚峰
一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。