常照我
四月、新しい年度の始まり。
子どもの頃は、また長い一年が始まるなあと思ったものです。周囲のすべてを敏感に受け止めるセンサーを備えていて、一つひとつの出来事を大きくとらえるからでしょう。でも大人になり年を経るごとに、一年はあっという間に過ぎていきます。
自分をとりまく様々を当たり前と受け流してしまえば、ただ流れ去っていく日々。そんな私でも、コロナ禍で社会不安が重くのしかかってきた時は、別段の不調なく目覚める度に、今日という日を健やかに迎えられてありがたいな、当たり前の日常は奇跡的なことなのだなと、実感しました。
当たり前を「有難い」といただける。新鮮な気づきでした。私たちは常に、新しい毎日をいただいているのです。
(機関紙「ともしび」令和5年4月号 「常照我」より)

平安時代に広く使用され、皇族の装束や宮中の調度に使用された有職文様の一つです。植物の冬葵の花葉からかたどった模様であるといわれています。御門主様の五条袈裟の地模様に使用されています。
親鸞聖人のことば
南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり
『浄土和讃』より(「佛光寺聖典」六〇二頁)
【意訳】
南無阿弥陀仏をとなえる身になると、十方世界の無量の諸仏が百重千重にもわたしを取り巻いて、お念仏をいただくわたしをよろこび、まもってくださる世界が開けるのです。
保育園に通うようになった孫が、たくさんのことを学んで帰ってきます。
手を合わせてください
夕ご飯になると、孫は家族みんなが席に着いたのを確かめ、誇らしげに叫びます。
「みなさん、手を合わせてください。いただきます」
家族みんなで「いただきます」と声を合わせ、にっこりと幸せな気分になりました。孫も満足そうです。目を輝かせ保育園での出来事を語ってくれます。
ふと、わたしは子どもの頃のわが家の食事風景を思い出しました。……みんな押し黙って食事をしています。ことばもなく父がおかわりの茶碗を差し出し、母もご飯をよそうと無言で父に渡します。母は父とも祖父とも目を合わせません。緊張感が子どもたちにも伝染し、苦痛の時間が過ぎて行きます。
まもってくれるのは
孫が先生や友だちのことを話してくれます。「先生は、なわとびうまいんだよ」彼の新鮮な驚きが家族みんなに伝わって、笑顔の会話が広がります。
保育園では園児が順番に「いただきます」のリーダーをしているようです。園児たちがみんな家に帰って、家族の「いただきます」のリーダーをしているのかなと思うとあたたかい気持ちになります。
親のことを保護者と呼びますが、わたしたち大人を護ってくれているのは、子どもたちかも知れません。当たり前の日々ではなく、毎日が感動とよろこびにあふれていることを、わたしたちに伝えてくれ、目を覚まさせてくれるはたらき。
「いただきます」の大きな声が南無阿弥陀仏の響きとして、わたしに届いてくるのです。
(機関紙「ともしび」令和5年4月号より)
仏教あれこれ
「京街道ウォーク」の巻
五月には本山佛光寺で慶讃法会が勤まります。バスや列車で参拝を予定されている方も多いことでしょう。でも、車や鉄道がなかった時代、本山参りはかなり大変だったと想像できます。
そこで、当時の方々のご苦労を少しでも感じ取ることができればと、自宅(大阪)から歩いてみようと考えました。
大阪から京都へは古くから京街道が整備されています。ここを経由して目指すとなると、その総距離は約七十キロメートル。さすがに連続して歩くのは体力的に無理なので、間隔を空けて三回に分け挑戦してみました。
一回目は自宅から京街道の起点ともいわれる京橋(大阪市都島区)まで。目的地に着いたあとは電車に乗って帰宅。次回は京橋が出発地となるので、後日あらためて電車で向かいました。
そして二回目はいよいよ京街道を歩くことに。京橋から枚方(枚方市)までは約二十キロメートル。途中にある守口(守口市)や、枚方は宿場町でもあります。大名や公家が泊まったり、旅人が休憩したりした場所なのかと思いをはせながら歩いたことでした。
四時間半程かけて、その日の目的地にたどり着き、棒になった足をさすりながら、当時の方々が大変な思いをされて足を運ばれたのだと、一部分ではありますがそのご苦労を感じずにはいられませんでした。
そして休憩したあと帰路についたのですが、枚方から京橋までは特急で約十四分……。電車のありがたさをもあらためて感じた街道ウォークでした。
さあ、あと一回。
(機関紙「ともしび」令和5年4月号より)
おときレシピ Vol.72「じゃがいものスリ流し一休寺ソース」

一休寺納豆。それは、京田辺にある一休寺で今でも作られている寺納豆です。
納豆という名前ですが、一般に想像される糸をひくものではなく、中華料理で使われる豆鼓のような、豆の形を残した濃い味と香りの味噌のようなものです。
一休寺という名前からもわかるように、この一休寺納豆は一休さんに縁があります。その昔、一休宗純が作り方を残し、今でも住職たちが手作りし、その製法が今も伝わっています。これは本当にすごいことです。
人間誰しも面倒になったり、やる気を失うことはあります。
どこかで数年間、この味噌が作られなかったら、もしかしたら令和の今、その製法が失われているかもしれません。
決していい時代ばかりが続いたわけではないでしょう。荒天、天変地異、争い事など様々なことがある中で歴史が紡がれる。そのことこそが何より尊いと感じます。
(ワンポイント)
一休寺納豆がうまくなめらかにならないときは少量のオリーブオイルを加えると良い。
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【監修】青江覚峰
一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。