2025年7月のともしび

常照我

 ある年の暑い夏の日、高速道路を走行中に突然タイヤがバースト(破裂)した。
 一瞬でハンドルが制御不能になった。幸いにも、すぐ目の前に非常駐車帯があり大事には至らなかった。
 後から考えればバーストの原因は空気圧の低下だ。予兆も感じていたが、その日は仕事が忙しく「今日は大丈夫だろう」と軽く考えて放っていた。
 車の知識も人並み以上にある方だと思っていた。しかし「自分は大丈夫」という思い込みが事故を起こしたのだ。
 車の運転に限ったことではない。人との関わりにおいても、「自分は正しい」という思い込みが他者との衝突を生み出す。
 私たちの暮らしは思い込みの連続だ。だからこそ平素から仏法を聞かねばならない。自分の思いを問い直すために。
 (機関紙「ともしび」令和7年7月号 「常照我」より)

イラスト 岡山県真光寺住職 守城尚子さん
(略歴)成安造形大学メディアデザイン領域CG・アニメーションコース卒業。株式会社ピーエーワークスに約三年勤務。退職後に岡山県真光寺住職を継職。現在は、放課後児童クラブ支援員、イラストレーターを兼業。

親鸞聖人のことば

小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき

『正像末和讃』より(『佛光寺聖典』六四三頁)

【意訳】
慈悲心のかけらさえも持ち合わせていないこの身では、人びとを救いたいと思うことなどできないのでしょう。
阿弥陀如来の私にかけられた願いの船がなければ、どうしてこの苦しみの海を渡ることなどできるでしょうか。

 十年前、肺を患った父を看取りました。

最期の夜
 主治医からは、最期は相当苦しむことになると知らされていました。そして、その最期の苦しさを緩和する点滴があることも父と共に聞かされていました。
 私が付き添っていた夜、父の容態が急変しました。まだ意識のあった父が、あえぐように薬を入れて欲しいと言います。点滴を始めると途端に状態は楽になりましたが、意識は無くなり呼吸が浅く短いものになります。
 夜中になり、再び父が苦しみだしました。意識の無い父に代わり私が薬を入れるか問われましたが、自分では判断ができません。母に電話をかけ状況を伝えると「楽にしてあげて欲しい」と答えました。家族にも集まるように伝え電話を切った私は、母の言葉に背中を押してもらい、点滴をお願いしました。そして、さらに浅く短い呼吸となった父は明け方、家族に見守られる中、息を引き取っていったのです。

私の苦しみ
 苦しむ父をそばで見続けることはとても苦しいことでした。二回の点滴で呼吸は楽に、しかし確実に死に近づいていく父の姿を見てホッとしたのは、私が私の苦しみから解放されたからだったように思うのです。父親の最期でさえ、自分以外の苦しみに寄り添うことができない私がいました。
 阿弥陀さまの願い。それは、すべての苦しみを自分の苦しみとして背負いたいと願う慈悲のお心です。その願いに照らされ、慈悲のお心とは真反対の生き方をしている私自身に気づかされなければ、私は人としての道を歩んでいくことさえできないのでしょう。
  (機関紙「ともしび」令和7年7月号より)

仏教あれこれ

「なが~い時間」の巻
 所用で遠方に出かけた帰り、電車で空港に向かっていた時のこと。時間に余裕があり、空港の飲食店を調べると、お気に入りのカフェもありました。ならば、着いたらゆっくりコーヒータイムにしよう、疲れたからケーキも食べちゃおうかな、などと考えていました。
 そんな時「この先の踏切の緊急停止信号により、安全確認を行っております」というアナウンスと共に、乗っていた電車が急停車。幸いその後20分ほどで動き出しましたが、ダイヤの混乱もあり、当初の予定からは30分以上の遅延。
 普段乗りなれている路線なら「空港まではあと何分、駅に着いたらあの最短ルートで」と落ち着いて想定もできますが、その時は初めての路線です。慌てて乗換駅の構内図をスマホで検索したり、搭乗の締め切り時間を再確認したり。カフェでくつろぐどころか、飛行機に間に合うか、ハラハラドキドキ。
 そういう焦っている時の一分は、何もできずに刻々と過ぎ去っていく一方、何度も時計を見てしまい、秒単位でひしひしと体感するなが~い時間。普段の生活の中では、一分間など特に意識することもなく、あっという間に通り過ぎてゆくのに。
 そう、時間も伸び縮みする。私たちの主観など、本当にあやふやで、アテにならないものだと思い知ります。
 この日は、自分の思いの通りにならなかったことにしょんぼりしつつ、電車や航空機の運航に尽力されている方々のおかげで、私は帰れたのだなあという感謝の念と共に帰宅しました。
  (機関紙「ともしび」令和7年7月号より)

おときレシピ Vol.94「すべてお米のミルク粥」

 その昔、長年にわたる苦行で衰弱しきったお釈迦様は、スジャータという村娘がくれたミルクがゆを食べて心身を回復され、菩提樹の下に座して悟られたといわれています。おそらく牛や山羊やぎの乳で作られたであろうミルク粥を、今回は米糀こめこうじミルクで作ってみました。
 「米糀ミルク」とは米と水を米糀で発酵させたもので、甘酒のような優しい甘みがある飲み物です。米と米糀、水でできた米糀ミルクに米を加えて作るですから、まさに原材料は米だけといえるでしょう。それがこのミルク粥です。
 少量の米でもかさが増して腹持ちが良く、優しい甘みで満足感も得られる一品です。
 どうぞお試しください。

米…1合
米糀ミルク…5カップ
好みのドライフルーツ…適宜(ここではクランベリー)
好みのナッツ…適宜(無塩・煎ったもの。ここではピスタチオ)
シナモンパウダー…適宜
米はいでザルに上げ、水けをきる。
鍋に1と米糀ミルクを入れて中火にかけ、煮立ったら弱火にして15分ほど煮る。5分おきに鍋底からひと混ぜする(混ぜすぎると粘りが出て焦げるので、混ぜすぎないこと)
火を止めてシナモンパウダーを少々加えてさっと混ぜ、10分ほどおいて余熱で米をふっくらさせる。
器に盛って刻んだドライフルーツ、ナッツを飾り、シナモンパウダー少々をふる。

(ワンポイント)
 米糀ミルクがない時は、アーモンドミルクや豆乳を使ってみてください。

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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。