ほとけの子
「抱っこ、抱っこー」と言って飛びついてくるのは小学生になる娘。
幼稚園の頃ならまだしも、小学生ともなれば受け止める方も落さないようにと大変。
それにしても子どもは抱っこされるのが大好きです。
では、子どもは抱きつこうとするその瞬間、何かを考えているのでしょうか?
「この親に飛びついても本当に大丈夫なのか?」。
「ちゃんと受け止めてくれるのだろうか?」。
なんてことはおそらく思っていないはずです。
意識せずとも、親のこころをわかっているのでしょう。
だからこそ飛びついたあとはどうなっても、すべておまかせなのです。
では、どうしておまかせできるのでしょうか?
動物園にいるサルの赤ちゃんを思い浮かべてください。
彼らは腕の力が強く、生まれてすぐに親にしがみつくことができます。
一方、人間の赤ちゃんではどうでしょう。
人間の赤ちゃんはその点では全く頼りないもので、自分の方から親にしがみつくことができません。
親からの一方的な保護、つまり抱きしめられるという行為が必要なのです。
しかもサルは実の母親しか受け付けないのに対して、人間の場合は実の親でなくても問題ありません。
抱きしめた人が赤ちゃんの親としてのはたらきをもつ。
自分の力で親にしがみつくサルに対して、人間の赤ちゃんは生まれながらにして、おまかせの世界を生きているのです。
では、抱っこされることには何か意味があるのでしょうか?
公共広告機構の広告に左記の詩が掲載されていました。
子どもの頃に
抱きしめられた記憶は、
ひとのこころの、奥のほうの、
大切な場所にずっと残っていく。
そうして、その記憶は、
優しさや思いやりの大切さを教えてくれたり、
ひとりぼっちじゃないんだって思わせてくれたり、
そこから先は行っちゃいけないよって止めてくれたり、
死んじゃいたいぐらい切ないときに支えてくれたりする。
子どもをもっと抱きしめてあげてください。
ちっちゃなこころは、いつも手をのばしています。
(公共広告機構)
この詩にあるように、子どもは抱きしめられると、自分のすべてを受け止めてもらえたという、この上もない安心感を持つのでしょう。
そして、おおいなる満足感に包まれ、生きていく力を得るのです。
では、大人の場合はどうなのでしょうか?
子どもと同様に、大人も何かに抱っこされたいという気持ちを、こころの奥底に持っています。
この私を包み込み、こころを安らげてくれる大きなものに。
でも大人になって「今さら抱っこなんて」と思われるかもしれません。
確かにいい歳して親に抱っこされるといっても、その親がもう亡くなっていたり、無理に飛びつくとケガさせてしまうことになるかもしれません。
では、誰に抱っこされるというのでしょうか?
真宗では阿弥陀さまのことを親さまと呼ぶことがあります。
親のように慈しみのこころをもって、この私を抱いて下さるからです。
私たちひとりひとりは、親さまに願われている仏の子なのです。
では、子どものようにおまかせできているのでしょうか?
人間の赤ちゃんは親におまかせなのですが、仏の子である私たちはというと・・・。
親の胸に飛び込むかのごとく、何もかもおまかせできていないのが現実です。
おまかせできないのは、親さまの願いに気づこうとしていないから。
いつでもどこでも、この私を包み込み「あるがままを生きよ」という願いに。
その願いに出遇えたときには、安心感に包まれた人生を送ることが出来るのですが。
では、あなたはどうなのでしょうか?
親を殴りたい
おかあさんは/どこでもふわふわ
ほっぺは ぷにょぷにょ/ふくらはぎは ぽよぽよ
ふとももは ぼよん/うでは もちもち
おなかは 小人さんが/トランポリンをしたら
とおくへとんでいくくらい/はずんでいる
おかあさんは/とってもやわらかい/ぼくがさわったら
あたたかい 気持ちいい/ベッドになってくれる
(『おかあさん』)
この国の至るところで、いま家族の絆がもろく、こわれやすくなっています。それも、ふだんは見えないかたちで。
青森県八戸市で、平成二十年四月一日に、小学四年の男子を絞殺した容疑で母親が逮捕された事件は、子殺しの続発する世相の中でも人々を驚かし、事件への痛ましさとともに、「なぜなんだろう」の疑問を抱かせました。
こころの闇
それは前年の10月、仙台市の「土井晩翠顕彰会」が主催した東北地方の小学生対象の詩のコンクールで、この男の子の前記の詩が佳作に選ばれていたことに起因します。
母への慕情と、表現から充分なスキンシップをしていたであろう母の愛が、びんびんと伝わってくる詩であるのに、なぜ母はこの子を殺さねばならなかったのか、という疑問です。
ここで、私たち皆が無意識にせよ抱いている「こころの深い闇」を思わざるをえません。
親鸞聖人は、この闇を称して「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」とおっしゃいました。
心の闇が深いところで裂けて表面化するとき、私たちはどんなことでもしてしまう、そんな人間としての痛ましさを知りぬいた聖人のおことばです。
子殺しに対して親殺しも、残念ながら後を断ちません。
事件にまで到らなくとも親や大人に対する不満はくすぶっています。平成十二年に総務庁が初めて中高生を対象に行った調査では、「中高生の三割が親を殴りたい」との報告が出ていました。
踏みとどまる
しかし親を殴りたい、という心の動きを一歩手前で踏みとどまらせる力が、子らにはたらいていることも重要な鍵になるでしょう。この力もまた、ふだんは見えないかたちで人の心にひそんでいるものなのです。
ここで私は、自分の高校時代の恩師が、卒業アルバムに書いて下さつた『贈る言葉』を思います。それは「自分を守るのと捨てるのとのあいだに生きることのむずかしさを、いつも思います」という文章でした。
いつも少し自信なさそうに、授業する先生でしたが それは「これで生徒に伝わるだろうか」と、授業内容を自問自答しておられる姿に映りました。
そういう先生は、いつもぎりぎり迷った末、自分を守るより捨てる方を多く選び取ったに違いなく、そう感じたとき、私はその先生をとても好きになりました。
つまり、踏みとどまる、大変くやしいけれど、ぐっと呑み込み一たん自分を捨てる、それは勇気にも等しいのではないでしょうか。
勇気とは、かっこよく外側に見せるものではありません。親鸞聖人はそういう勇気を、「勇猛のふるまい、みな虚仮たるべきこと」とおっしゃっています。
親を殴りたい、そこを踏みとどまって親の気持ちを考えてあげる、一個の人間として欠点多き者として見てあげる、そのことによってはじめて子は親と同一線上で向き合えるのです。
明るい「けんか」
けれどもどうしても踏みとどまれず、我慢できない場合、言ってしまうか行動に出るか、最終的に喧嘩するしかないかもしれません。要は、やり方です。
どこでどなたからお聞きしたのか忘れましたが、鮮烈におぼえている次のような小学男子の詩がありました。
太平洋と/日本海と/オホーツク海と/東シナ海の/まんなかの/日本の/古河第一小学校の運動場で/ぼくはいま/けんかしている
(『けんか』)
思わず、うれしくなります。
この少年、どこまでも開かれた世界で正々堂々とけんかしています。何といさぎよい、明るいけんかでしょう。この少年の育った真っ直ぐな家庭環境を想像します。
このような精神的土壌には、いじめもなく、ひきこもりもないことでしょう。いじめは、社会と家庭への不満から生じていると、やはり思われます。とりわけ家庭から。
たとえ裕福で生活には困らなくても、その家庭に満たされないものがあるから、外へと攻撃が向かうのだと思います。
言い換えれば、きちんと喧嘩の出来る家族であることが、むしろ望ましいのではないでしょうか。
御同朋・御同行
人は自分の都合の悪い相手、嫌いな相手を排除しようとします。誰の心にも働く自然感情ですが、それは、みずからが生きる世界を狭くし閉鎖的なものにします。
真宗のみ教えは、都合の悪い嫌いな人やできごとをも、最終的に拝んでいくみ教えです。
二十世紀の末ごろから世界中で、「共生」ということばが交わされはじめました。戦争したり醜い争いをしていたのでは、人間同士がもう生きておれなくなり、第一、地球が持たない、という認識がその背景にありました。共に生きなければ、と。
親を殴ったり、子を殺したりしている場合じゃない、もっと切実で深刻な危機が、地球的規模ではじまっている、ということです。
信じ合える者も、そむきそしる者も、一度きりの人生の旅をぶつかりあいつつも共に行く同じ仲間だと言い切った、親鸞聖人の「御同朋・御同行」というおことばがあります。
お互いの違いを相手の良さと認めあえる社会、そんな社会を実現したいものです。
とりわけ家族こそ、その御同朋・御同行なのですから。
老いを楽しむ
お年寄りの智恵
中学生になるお孫さんが、理科の宿題で「カビの発生」について研究をしていました。
「なぜ、カビは発生するのか」と、つきたての餅を横にレポートを書いていると、おばあちゃんが横に来て一言…。
「はやく、喰わねえからだよ…」
なるほど、食べ物を放置しているとカビが発生します。ならば、カビの生えぬ間に食べる。
まさか、そんな答えをレポートに書くわけにはいきませんが、私はこのおばあちゃんの言葉こそ、生活の中から湧き出た「生きた言葉」と思うのです。
ほうきを逆さに構えて追いかけてきた祖母
私が小学五年生のとき、言うことを聞いてくれない祖母に対して「おばあちゃんなんか、死んでしまえ!」と言ったことがありました。
その瞬間、温厚な祖母の顔はゆがみ、ほうきを逆さに構えて追いかけてきたのです。
それは、いつもはやさしい祖母が、今までに見せたことのない悲しい姿でした。すでにその祖母も亡くなり、昨年二十三回忌を勤めさせていただきましたが、今でもその光景は、苦い思いと共に鮮明に蘇ってきます。
祖母に申し訳ないことをしたという思いは変わりませんが、一方、よくぞ、ほうきを逆さに構えて追いかけてきてくれたと思っています。
もし、あの時、孫から言われたその一言に泣き崩れていたとしたら、私の中にも、暗く深い傷となって残ったと思います。
「『死ね』などという言葉は、人に向かって言う言葉ではない」と身をもって教えてくれた祖母。
亡くなっても、その姿は今もしっかりと私の中に生き続けています。
見ているのは、防犯カメラではなく仏さま
私が子どものころ、「仏さまが見ているよ」という言葉は、まだあちこちで聞くことが出来ました。
その一言で「悪いことをしてはいけない」と子ども心に理解していたように思いますが、現在ではあまり聞くこともなくなりました。
ある百貨店での出来事です。
ひとりの母親が、店の中を走りまわるわが子に「悪いことしたらあかんで、カメラに映ってるで!」と叱っている場面に遭遇しました。
それはあたかも「映像」という証拠が残るから、悪いことをしてはいけないと言っているようでした。
万引きでつかまったわが子を引き取りにきた親は「バカだね、捕まって!」と子どもをなじり、店には「お金を払えばいいんでしょ」と開きなおる。
目まぐるしく移り変わる時代の中で、感覚が麻痺し、何が「問題」なのか分からなくなってきているのです。
先頃亡くなった作詞家の阿久悠氏は、今日の世相を「小さな異変が誕生した『時』がある。その『時』を見逃したために怪物化した」と語り、その「時」とは「少女買春を援助交際と言い換え、売春と交際を同義語としてしまった時」「勤勉、真面目を野暮、ダサイと笑いものにした時」などを挙げられていました。
怪物化した現代は「ジコチュー(自己中心的)」という言葉を生み出し、人間の相を浮き彫りにしました。
誰も見ていないから…自分さえよければ…。
仏さまの眼には、防犯カメラのような証拠は残りませんが、お念仏をより処とするところに、証拠を必要とせぬほどに、ごまかしようのない「私」の実体が映し出されるのです。
老いて深まる
「最近、もの忘れがひどくなりましてね。先日も、眼鏡を探していて、ふと気がつくと自分の顔に掛けていた。隣の部屋に物を取りに行ったのに、何を取りに来たのか忘れる。人の顔は分かるのに名前が出てきません…。ほんと、年は取りたくないですよねぇ…」
ある程度の年齢を重ねれば、誰しも経験することではないでしょうか。
「老いる」ということは、若い頃には出来たことが出来なくなる。動作が鈍くなる、記憶力が低下するということですが、マイナス的な要素だけではありません。
若い頃には、その浅い経験から気づかなかったことに気づく、他人の痛みが分かるということがあります。
「いつの間に、こんなにしわが増えたんだろう…」
毎朝見ている鏡に向かい、ふとこんなセリフを呟く。
年は取りたくない、いつまでも健康でいたい…という思いは、万人の願いなのかも知れません。
元大谷大学教授の金子大榮師は常々「老醜、老耄といわれるようになりたくない、老境といわるような晩年でありたい」と話されていたといいます。
老いたら「老い」を楽しみたい。
四季に秋がめぐりくるように、「老い」は人生の深まりを見せるときでもありましょう。
「長生きしたご褒美に、最近は物忘れがひどうなりました、おまけに世の中の雑音を聞かなくていいように耳まで遠くならせてもらいました」
長年、聴聞を重ねられたおばあちゃんの言葉です。
現実は現実として変わりようがありませんが、視点が変わると壁は扉に変わります。
猶存在耶
オルガンに合わせて
♪燈(とも)火(しび)ちかく 衣(きぬ)縫う母は
春の遊びの 楽しさ語る
居並ぶ子どもは 指を折りつつ
日数かぞえて 喜び勇む
囲炉裏火は とろとろ
外は吹雪
この歌は明治四十五年に刊行された『尋常小学唱歌三』の中の「冬の夜」です。この歌を口ずさむと、昔の情景がまざまざと思い浮かびます。しんしんと雪が降り積もる藁葺き屋根の家の中、両親と子どもたちは、とろとろと燃える囲炉裏を囲んで、就寝までのひと時を楽しんでいます。父は節くれだった手で縄を編んでいます。逞(たくま)しい子どもたちの様子に目を細めながら、母は「おはり」をしています。囲炉裏火を顔一面に受けて、子どもたちは、父の話に半分耳を傾けつつ、野山を駆け巡る春が来るのを楽しみに待っています。
人生にはその節目節目で決して忘れることのできない歌があります。
この歌で、私は終戦後10数年経った田舎の小学三年当時のことを思い浮かべます。暖房といえば、教室の真ん中に箱火鉢がひとつ。吹き抜けのローカを通して雪混じりの寒風が入ってきます。「学芸会」が迫っています。放課後、凍えた手をものともせず、三10数名の我々児童が、担任の先生のオルガンに合わせて大声で歌ったものです。
いつかどこかで、米兵が撮った「日本の風景」の写真集の中で、裸電球のもと、円卓を囲んでの食事風景を見たことがありますが、その写真は「この風景こそ家族の絆なのだ」と訴えておりました。
あれから五十年、「家族」のあり方がずいぶん変わってきました。すくなくとも五十年前には「家族」ということばを聞けば必ず「絆」という言葉が返ってきたものです。
この「絆」は辞書によると「牛馬等をつなぐ縄」「足をつなぐ・つなぎとどむ」とあります。つまり、ものとものを、つなぎとめるという意味です。親と子は、親しい絆で結ばれていますので、これは人間としての心を貫いていることになります。また、いのちというものも貫かれています。したがって、親子という関係は切っても切り離すことができないのです。あの何とも温かい「家族」という響きは一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
仏さまから賜る絆
一旦失われてしまった絆をどのように回復したらよいのでしょうか。
岩根ふみ子さんの『本屋です、まいど』という本の中に、
老人性認知症を患(わずら)っていた母が八十七歳で往生しましたが、その三年半というもの、狂気と惚けている状態が交互にやってきます。その度に家族は振り回され、この状態がいつまで続くのか。早く死んでくれたらとまで願い、そんな恐ろしい願望にさえ何の疑いも持たなかった自分、五逆の真っただ中の自分であったのです。しかし、やがて住職から一通の電報がきました。それには、
「お母さんは、老いた身をあげて、精一杯、私たちの中にある地獄を、抉(えぐ)り出して見せて、世を去られた仏であるとおもわれませんか? 先に逝かれたお父さんは、お前、ご苦労であったと、迎えたでしょう」と。
その電文を目の当たりにして、はじめて親のご恩に遇われたのでしょう。お母さんこそ自分の中の地獄を見せて下さった仏さまだったのだと。
私たちは願われて願われて人間として生を受けさせていただきながらも、本当の人間に目覚めさせていただかずに、いのち終わってもいいものでしょうか。家族の絆というものは、仏さまの方から、私の上に回復して下さるのであります。
猶存在耶 ―まだ、生きているのかー
『観無量寿経』の中に、阿闍世王子が父王を牢獄へ閉じ込め、二十一日目に牢獄の門番に父の生存を問う場面があります。
時に阿闍(あじゃ)世(せ)、守門の者に問わく、
「父の王、今になお存在せりや」
と問うています。この問いは、二千五百年前のことばですが、現在の私たちの生活の中に頑として生きています。特に現代は少子高齢化社会、一緒に暮らしている家族の中で、父が認知症であったり、母であったりする場合が往々にしてありますが、そういった中にあって、私たちの心の中には「猶存在耶」という心があるのではないでしょうか。また、「まだ生きているのか」ということばの裏に何があるのでしょうか。
人間の本性
煩悩から見れば、「わが身よければすべてよし」というのが人間の本性といえます。そうした人間の本性を見抜かれた親鸞聖人は「御消息」の中で
善知識をおろそかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば五逆のものともうすなり
と教えて下さっています。都合のよい親であってほしいと思うだけで、聖人は親殺しの罪を犯したことになるといわれるのです。教えに出遇わない限り、罪の自覚のないのが凡夫であります。
親が子を、子が親を殺す事件が頻発する現代、「悪縁に遭えば本性をあらわすこと阿闍世のごとく、切羽詰れば親でも殺す」というのが、われわれの偽らざる本性であり、わが身の都合しだいでは、何をしでかすかわからない悪因を内に秘めた存在であるということです。しかも、誰もがその悪因を悪因と気づかず、無明の闇の中を彷徨いつづけているのです。そのことを、生きたことばの仏身、南無阿弥陀仏に聴いていく生活こそ、真宗門徒として肝要なことであります。
無残な生きかた
現在、「家族」が崩壊しつつあります。
家父長制による大家族、三世代同居、そして核家族と、家族の形態も時代によって変化しましたが、変化はそれ自体悪いことではありません。
変化をしながらも、これまでは、家族がやわらかなクッションのような役割を果たすことによって、私たちは他者との関係を構築してきました。しかし崩壊しつつある今、私たちは激しくぶつかり潰しあうか、最初から存在していないものとして互いを消し去ろうとするのです。
今改めて、自分と周りを見渡してみると、家族の中ではなく、群れの中にいるような人はいませんか。風の通る家ではなく、空気の澱んだねぐらに住んでいないでしょうか。他の人が入ってこられないように車座になって損得ばかりの話をしていないでしょうか。
これらは人間自身が「自己家畜化現象」によって変質してしまった結果なのだそうです。自己家畜化とは、人間の歴史によって身についてきた知恵のかたちを、私たちが自らを飼いならすことで平気で捨てていることなのです。
自分の想定内のことしか自分の身には降りかからない、想定外の出来事が起こるはずがない、しかも想定されている内容は自分の都合の良いことだけ、という人生を生きているのが、自己家畜化されたものの姿です。
人間の私
法蔵菩薩の誓いの第一に「地獄餓鬼畜生の三悪道に堕ちるものがいるならば私は仏にならない」とあります。
実は「自己家畜化現象」の結果としての私たちの姿は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の世界であるといえるのです。
法蔵菩薩が「三悪道に堕ちる者なかれ」と誓われているそのこころは、自らを進んで家畜化してはならないという、人間として生きるための大前提をあらわしているのではないでしょうか。
なぜならば仏教は、孤の中に沈み、虚しさの奥底で独り言を繰り返すものを生み出すのではなく、生きとし生けるもののいのちを担う人間を生み出すものだからです。
次の詩には、日常に埋没する私たちの姿と、こころの叫びが表現されています。
『一番好きなもの』
岡本理恵
私は高速道路が好きです
私はスモッグで汚れた風が好きです
私は魚の死んでいる海が好きです
私はごみでいっぱいの街が好きです
殺人 詐欺 自動車事故が好き
そして 何よりも好きなのは
多数の人が 涙を流す 血を流す 戦争が大好きです
飢えと 寒さの中で 闘って死んでいく姿を見ると
背中がぞくぞくするほど楽しくなります
毎日 毎日 大人が 子供が 生まれたばかりの赤ん坊が
次から次へと 死んでいるかと思うと 心がゆったりします
歴史を歴史と感じ 過去を過去として思う
無感情な 時の流れに 自分自身に
たまらなく喜びを感じます
こんな私を助けて下さい 誰か助けて下さい
たった一粒でもいいのです
こんな私に 涙というものを与えてください
たった一瞬でいいのです
こんな私に 尊さというものを与えて下さい
私の名前は 人間といいます
(松扉哲雄『自身に目覚めん』に所収)
三悪道に心地よく浸りきっている自身の姿と出遇うことによって独り絶望の淵に立たされた時、私たちが本当に求めているものは何かを教えてくれる詩です。
親鸞聖人のいただかれた世界は、先の詩にもあらわされている慙愧の心を、私たちに伝える智慧の世界であり、人間として生まれた私のことを、私より深く念って下さっている念仏の世界でありました。
自分の無残さに打ちのめされ、その自分をこそ救わんと抱きしめてくださっていた如来の心に出遇ってこそ、こぼれおちる一粒の涙ではないでしょうか。
抱きしめて放さない
思えば、家族とは帰る処です。帰る処とは涙を流せる処であり、周りのいのちとの関係を修復する処であり、そしてまた立ち上がって歩み始める処でもあります。
善導大師は「帰去来、魔郷には停まるべからず」(『観経疏・定善義』)と述べられました。魔郷とは欲望の虜になって、親や子どもまで売り渡す世界のことでしょう。我欲の満足に命をかけ、それだけでは飽き足らず、周りのものを煽り続ける三悪道を終の棲家にしてはならない、罪の自覚の上に開き直ってはいけない、今すぐ如来の御心の元に帰りなさいとおっしゃるのです。
そうおっしゃられても帰るすべを全くもっていないのが、先の詩の通りの無残な生き様の私たちです。そんな私たちに如来は「南無阿弥陀仏」と喚びかけられます。
如来の、私たちを抱きしめて離さぬというお心を私たちに届ける手立ても、実はまた如来によって「南無阿弥陀仏」の名号として準備され、念仏として届けられているのです。
子の母をおもうがごとくにて 衆生仏を憶すれば
現前当来とおからず 如来を拝見うたがわず
(「浄土和讃」)
如来の摂取不捨の精神は、私たちがどんなに無残な生きかたをしていようとも、母のように抱きしめ離さないのです。
定まる方向
見つめ合うことの<エゴ>
結婚披露宴のスピーチ等でよく引用される、フランスの作家、サン・テグジュペリのことばがあります。
「結婚生活とは、互いに見つめ合うことではなく、共に一つの方向を見て歩むことである。」
確かに、見つめ合うだけでは、婚約期の熱も次第に色褪せやがてはあらさがしになりかねないでしょう。相手を知ることは大切ですが、それだけでは、かえって狭い世界に閉じこもっていくのが人間。なぜなら人間は、自分のエゴに相手を合わせようとする生き物だからです。そしてそのエゴに、私たちはなかなか気づこうとしません。
けれども気づかぬ限り、共に一つの方向には歩めません。
自己を対象化する
歌舞伎役者で平成中村座座長の中村勘三郎さん。平成19年は新作歌舞伎「舌切り雀」を発表されましたが、その上演の一部を同年暮れのNHKで観ました。
勘三郎さん紛するのは、玉婆という名のいじわる婆さん。糊をまだ舐めてもいないのに「そのオソレあり、疑わしきは先制攻撃だ!」と早々に雀の舌を切ってしまう悪婆ぶり。
そして終幕に近く、大きなつづらを貰って家まで持ち帰るのも重くて待ち切れず、例によって竹薮の中でつづらを開けてしまった玉婆。なんと中から現れたのはお化け妖怪の類ではなく、勘三郎さん演じる玉婆そっくりの、もう一人の自分だったのです。
つづらから出てきた<自分>を見て、思わず腰を抜かして叫んだ玉婆のセリフが「鬼だあ~ッ!」
<鬼>に気づいて<人間>となる
衝撃の演出でした。私たちは自分の真の姿を眼前に見せつけられて、果たして「鬼だ」といえるでしょうか。深い暗示と問題意識を投げかけた舞台でありました。
そして、とても<真宗>的でした。
親鸞聖人に「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍のごとくなり…」のご和讃があります。この蛇蠍も<鬼>と同義語でしょう。私たちが無意識にせよ自分に蓋をしている本性の部分、それをみずからひっぺがし、引き裂いて見せてくれたのが玉婆の「鬼だあ~ッ!」の叫びであり、聖人のご和讃ご製作のおこころではないでしょうか。
人は、自分の中の<鬼>に気づいてこそ、真に<人間>となるのです。真実の宗教は、そのことを教えて下さいます。
犬は犬に育つ
念仏者で科学者であった京都大学医学部の東昇教授は、かつて、「猫は生まれてすぐ人が育てても猫に育つ。犬は犬に育つ。しかし、人間は人間に生まれても、かならず人間に育つとは決まっていない。今日の学者の定説では、約5000通りの可能性を持って生まれてくる」と発表されました。
つまり育ち方によって、人間は、鬼にも蛇にもなりうるのです。?世紀初頭、狼に育てられていたのを保護された二人の少女、アマラとカマラは、渾身の教育のもとでも、遂に人間に戻れず、死んでしまいました。
<育つ>を<教えられる>と言い換えることもできます。
そして<教えられる>は、理論理屈ではありません。
東教授は晩年、「科学の話は、ハテナ?ハテナ?と聞く。仏法の話は、ハイ、ソウデゴザイマスカ、ハイ、ソウデゴザイマスカ、と聞くものです」と講話で話されていました。
「疑い、考えることで進歩はする。しかし、理屈を超えてうなずける世界をこそ、人は希求している」という教授最後のメッセージでありましょう。
祖父を投げとばす
少年の頃、寺の茶の間で話をしていた祖父が、突然、祖母にとびかかって殴ろうとしました。私は、とっさに祖父に後ろから組みつき、小柄な祖父を投げとばしていました。
祖父は無言で起き上がると、ふりむきもせず茶の間から出て行きました。謝ろうと後を追いましたが、姿が見当たりません。すると本堂の方で音がします。行ってみると、祖父が肩をふるわせ、嗚咽しながら読経をしていました。私はその姿になぜか胸をうたれ、黙って佇んでいました。
茶の間に戻り、祖母に「何で喧嘩したの?」と訊くと、「お寺のことさ」と。
ふだん仲の良かった祖父母でしたので、喧嘩はショックでしたが、二人とも、いつもお寺のことを思っていたのでしょう。ふと、「祖父のこの悲しみを、無駄にはできない」
将来、お寺を継ぐことから逃れたがっていた私でしたが、なぜか電撃にうたれたように一瞬、そう思っていました。
拝む方向が定まる
つまり、お寺を継ぐ決心をした私でしたが、動機は、理屈を超えた祖父の嗚咽の後ろ姿でした。その祖父が坐っていたお寺の本堂は、一般のご家庭のお内仏に当たります。
お内仏は、家庭の中で家族が、同じ方向を向いて合掌礼拝することのできる<聖なる空間>です。その前では、改めて家族の絆が強く結ばれます。拝むという共通の行為により、<一つの方向>が定まることによって。
こころでほろぶ
これからの家庭はどうなっていくのか、最近の事件で親が子を殺し、子が親を殺すなど聞くにつけ、ふと私の家庭は?子どもたちや孫たちの時代は?と不安がよぎります。
無邪気にはしゃぎ回っている犬のチャチャが、お座りして首をかしげながら、私に語りかけます。「人間とは、何とわけの解らない悲しい生き物なんでしょう。でも私にはこの家庭しかありません。大好きです。信じていますよ」
失われる「いのちへの眼」
戦後、私たちは食べるにも、こと欠くほど貧しい生活を送っていましたが、国民の努力によってわずか半世紀足らずで物があふれる飽食の時代を迎えることになりました。ペットさえ生活習慣病にかかるほど食料にあふれ、品揃えも豊富で、買うのにもひと苦労します。
私たちの食料で26%は残飯として捨てられているといわれ、それだけの食料で世界の飢餓に苦しむ人がどれだけ助かるか、目を向ける人は少ないように思われます。他者への気遣いがはたらかない状況が生まれています。
またこの豊かさは、実は他の動植物の命をより多く奪うということになります。その結果、人はいのちを見る眼を無自覚のうちに鈍化させ、いのちをいのちと感じることなく、ひたすら我欲追求に突っ走るようになってしまいました。
教育者であり念仏者の東井義雄さんはいわれます。
教育においては、貧しさより豊かさのほうが恐ろしい。
貧しければ物を大切にし、他者に気を遣いながら、よく考えて行動しますが、豊かになれば物を粗末にするばかりか、他人の気持ちをおもんばかることもなく、勝手気ままに行動するようになるといわれます。ゆえに豊かになればなるほどいのちを粗末にすると指摘されるのです。
このいのちを見る眼を育ててきたのが、仏法でした。食前の「いただきます」という合掌の姿は、他のいのちをいただいて、今の私があるという表れです。これが感謝の心です。
カニを食べた
カニの一生を食べてしもうた
カニにもろうた私の今日のいのち
芋を食べた
芋の一生を食べてしもうた
芋にもろうた今日の私のいのち
そう思ったらお念仏がこぼれてやまぬ
念仏者である北海道の島本邦子さんの詩です。
当り前と思って口にするすべてが、私のいのちとなってくださる。お陰さまの中に生かされている私なのに、お粗末な生き方しかしていなかったと、気づかされるのです。
<速さ>は視野を狭くする
一方、豊かさや利便性を追求すれば、煩わしい人間関係を保つ必要もなくなっていきます。地域社会の付き合いは敬遠され、家庭にあっては別居や離婚に拍車がかかるといわれます。また核家族化は人間関係が狭まり、幼児虐待、ドメスティックバイオレンス(DV)等の人権侵害を生み出すといわれます。子どもたちは家に閉じこもり、ゲームやネットに溺れていきます。
子どもの躾で、よく親は「早くしなさい、早く。なぜできないの?」と、叱咤し続けました。これは親の忍耐力が欠けたためと言われています。また豊かさは速さを求めます。速さは視野を狭くします。視野の狭い親に叱咤され悲観されて、応えていけない子どもたちはどうなってしまうのでしょうか。「さあ、ゆっくりと歩もうね」と呼びかけられない親たちの現実、まことに悲しいことです。
先人が築いた苦労とか忍耐という心は、まさに消えようとしています。苦労に耐えて生き抜いた家の歴史や文化が伝わらない状況です。まさに「無明の闇」を深める家族がますます増えてくるのでしょう。実は、この暗き闇の只中にいることすら気づかないという闇を抱えているのが、現代の私たちなのです。
無明の闇を破る
「物で栄え、心で滅ぶ」といわれて久しいわけですが、このような煩悩を煽る社会状況の中で、踊らされない自立性を確保することこそ、家庭における大事なことです。
ところが、貪欲・瞋恚・愚痴という煩悩に振り回されている自分にめざめることは容易ではなく、自らの力ではできないものなのです。仏法という鏡に映し出されないと、真実というものにはめざめられないのです。そのことを親鸞聖人は『歎異抄』において、
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
と、ご述懐されておられます。わが身の姿、社会の姿はみな虚妄であり、念仏こそ真実であるという深い認識は、真実の念仏に出遇ってこそ、わが身、わが家庭のありよう、社会のありようが映し出されてくるのでありましょう。闇と知る以外に、闇を破ることはできません。闇とも知らず闇のまま一生を終えていくならば、それこそ空しい人生を送ることになります。
「めざめよ、めざめよ、そうでないと人間を失うぞ」と、喚びかけ続けておられる仏さま。この大いなるはたらきに頷くことで、闇が破られるのです。一人ひとり、この仏さまの喚びかけを聞くことこそ、家庭に伝承されてきた絆なのです。核家族となった現代にこそ大切なことです。
お内仏のある生活
「孫がね、遊びにくると仏さんのところへ行ってね、チンチーンとやるんですよ、おもちゃじゃないよって、叱るんですけどね…」
いつものように月参りに出かけた先のおばあちゃん、叱るという割には嬉しそうです。
古くから「子は親の言うことは聞かないが、親のすることの真似をする」と言われてきました。
なるほど、おばあちゃんの真似をしてこのお孫さんも、お内仏にお参りをするのでしょう。
ところが先日、そのおばあちゃんのお宅へお参りすると、いつもとは違う様相です。
「孫がね、台所で作りかけていた惣菜をつまみ食いしたんです。で、私が叱ると、ばあちゃんもやってたやんかと言われましてね…誰も見ていないと思ってつまみ食いしたのを、孫はちゃんと見てたんですね…お恥ずかしい限りです」
人間、誰も見ていないと本性が出るといわれますが、誰かに見られていたとなると、なかなか恥ずかしいものです。
自分中心の生活
古くから「お内仏は家庭の中心」と言われてきました。
ところが「仏さんよりも、生き仏さん(人間)の方が大事ですからなぁ」という言葉があるように、仏さまを中心にとは名ばかりで、人間中心、自分中心の生活が現状ではないでしょうか。
灰谷健次郎さんの編著『一年一組』に、うえがきたかとし君の「すきなこども」と題した作文が紹介されています。
おかあさんは
かしこいこと
げんきなこと
はなしをよくきくこと
うそつきじゃないこと
ふざけないこと
やくそくをまもるこが
だいすきだって
ぼくはむりです
親なら誰しも、我が子に対して大いなる期待をかけることでしょう。ところが、その期待は親の「願い」といえば聞こえはいいのですが、都合のいい「思い」を一方的に押しつけていることになってはいないでしょうか。
灰谷さんは「親が、自分は絶対に間違いがないと思ったとき、子どもにとって最大の暴力になる」と警鐘します。
「親の心、子知らず」とはよく聞く言葉ですが、「子の心、親知らず」に気づかないのです。
みな違う
たとえば、Aという場所に集合するとしましょう。私たちはその集合する場所までの距離、かかる時間を計算して出かけます。
歩いて行くか、自転車で行くか、あるいは電車かタクシーか…それぞれ条件に応じて手段は変わってきます。
同じ場所に集合はするのですが、その目的地への到着手段、道行きはみな違います。
それは、出発する場所がそれぞれに違うからです。
私たちの歩みも、おかれている環境、境遇、立場によって、人それぞれに違います。
少し前のことですが「三丁目の夕日」という映画が公開されました。
舞台は昭和三十三年、当然のことながら携帯電話もパソコンもありません。また、現代のように、モノの満ち溢れた時代でもありません。
決して豊かな時代とは言えないのに、そこに描かれている
人々の表情は、みな生き生きとしています。
その映画のラストシーンは両親に子どもがひとりという、ごく平凡な一家が堤防に立ち、東京タワーの横に沈みゆく夕日を見ているというものでした。
「きれいだな…」
「きれいね…」
「明日の夕日もきれいかなあ」
「明日も明後日も、夕日はずーっときれいだよ」
父親、母親、子ども…みな立場は違うのに同じ方向を見て、同じように感じ、共感共鳴する。
私たちはそこに、何ものにも代え難い喜びを感じるのではないでしょうか。
仏さま中心の生活
人が生きていく上で、向かい合うことは非常に大切なことですが、お内仏にお参りするということは、向かい合うのではなくて、同じ方向に向かって、南無阿弥陀仏と念仏申すことです。
それぞれに歩み来た道、また歩む道が違おうとも、現在ただ今の私の生き方が、ほんとうに私が私でよかったと言える生き方なのか…お内仏を中心とするところに、自分中心という在り方がいかに傲慢で、私という存在の背景を見失っているかということを映し出すのです。
お内仏を家庭の中心といただき、南無阿弥陀仏と念仏申すところに、自身の姿に頭が下がり、人間らしい生活が始まります。
ブタとイノシシ
長寿社会
ナイジェリアには次のような神話があるそうです。
「…世界創世のころ、神は人間とウマとイヌとサルを前にして、「それぞれに三十年の命を与える」と申し渡した。最初にウマが立ち上がって、「わがままな人間と一緒では、三十年は長すぎます。十五年でけっこうです」と。わきにいた人間はすかさず、その十五年をもらい受けたいと申し出て、人間の寿命は四十五年に延長された。つづいてイヌも辞退を申し出た。「人間と一緒なら、十五年で十分です」すかさず人間はその十五年ももらい受ける。最後にサルも同じ理由で十五年を返上し…人間の寿命はさらに延びることとなった。そのためか、人間が本当に人間らしく生きられるのは最初の三十年間で、つづく十五年間はウマの如く働かされ、次の十五年間はイヌの如く走りながらどなりちらし、最後の十五年間はサルの如く生きるのだという。…」
(『医者が癌にかかったとき』竹中文良著より)
「人間らしく生きられるのは三十歳まで」とは、考えさせられます。皆さんは今、何の時代を生きておられますか。「サルのように」とは、サル社会はボス猿の座をめぐって、凄まじい権力闘争があるそうですが、言い得て妙。示唆に富んだ神話だと思います。でも現代日本は更なる高齢化社会。サルより後期は何のように生きるのでしょう。ともかく「一緒だけは絶対にイヤ」と、他の動物からそっぽを向かれる人間が「地球に優しく」とか「共生」を口にする。良いことの筈だった「共生」なのに、共に生きてもらえない。ある記録映画で、人間の姿を見ただけで気絶してしまう動物を観たことがありますが、一体人間はどんな動物なのでしょうか。
「三十歳までは人間らしく」とは言うものの、そもそも「人間」とはどういうものか、その内容を問いただすのが教えの言葉です。
人間も「家畜」の一種?
現代社会は田舎も都会も程度の差はあれ、均質化し都市生活となりつつあります。抗菌グッズに冷暖房完備の住宅、管理された衣食住。自分の足よりも乗り物を利用し、体力や抵抗力は低下しています。またそんな生活をみんなが望み、「文明」と夢見てきたのではないでしょうか。例えば、狭いケージでひたすら餌を食べ、卵を産み、眠るニワトリの姿と、空調のきいたオフィスで終日仕事をする姿は何となく似ています。人間はニワトリを「家畜」と呼び、管理しますが、知らず知らずのうちに、同じことを人間自らに対してもやっているのではないか。そう警告するのが「自己家畜化現象」の概念です。
ブタとイノシシ
例えば、野生のイノシシを家畜化したものがブタですが、ブタは家畜化されるに従って、口先は短くなり、身体から毛が抜けて脂肪が付き、牙も退化しました。脳を比較すると、イノシシの方がはるかに優秀なのだそうです。野生で生きるには自分で餌を探し、生き抜いていかねばなりませんが、家畜は人間が管理する囲いの中で、与えられる餌をただ食べ続けるだけでいいのです。自然の脅威がない上、人間も家畜をできる限り守ろうとする、そういう安穏さの集積が知能の退化を招いたといいます。体力や、病気に対する抵抗力も弱まり、ブタを自然に放置すると死んでしまうのだそうです。
丸裸の現代人をあらためて見つめてみると、敵から身を守る歯や爪が退化しつつあります。足の指も自由には開きません。使わない機能はどんどん退化していき、弱体化して遺伝します。もしジャングルに投げ出されたら、何日生きられるでしょう。都市の文明なしには生きられない全く弱い生物なのです。
劣化した現代人
身体的のみならず、精神的にも軟弱で、朝は目覚まし時計に起こされ、会社では上司に従い、パソコンに使われ、ケータイに繋がれる。一日の中でどれくらい、自分の頭で考え、行動したのでしょうか。ケータイ的な活字に慣れ、長文は飽きて読むことができなくなる。「より大きな文字で分かりやすく」を追求した結果、新聞の情報量はこの二十年間で三分の二に減った、との分析もあります。「なぞる本」がヒットし、「あらすじで読む名作」、「サビで聞く名曲」といったシリーズがうける時代です。活字だけでなく、モラルや生きる力まで「低下」ではなく、もはや「劣化」したと精神科医、香山リカ氏は指摘されます。
聞法道
隣寺の住職さんはいつも自転車で仕事をしておられます。特に夏の炎天下で自転車をこぐ堂々たる姿に出会うと、クーラーの効いた車内でさえ文句しか言わない自分が恥ずかしくなります。住職さんは「私は文句を言わないことにしています」。健康な赤銅色に焼けた顔は爽やかで、生きた言葉は聞いた者にいつまでも残ります。「親を困らせたかった」としか言えない人生もあれば、文句は言わないと、晴れ晴れした人生もある。
両方が自分なのだと思います。調子が良ければ舞い上がり、落ちれば自暴自棄になる。縁がくればどんなこともしてしまう私、親鸞聖人は「無慚無愧のこの身」と自身を表白されました。畜生の道を卒業するわけではありません。むしろ畜生なるわが身を聞いていくことなのです。どんな時代でもありのままの私を聞く「聞法の道」があります。特別なことではありません。先人の歩まれた古道を、また私も歩む。懐かしく確かな道です。
照らされて見えてくる
「10万の兵に匹敵」
「羊頭狗肉」という言葉があります。羊の頭を看板に出して狗(いぬ)の肉を売るという意味で、まさに、昨今の「食品偽装」そのものですが、これは中国・宋の時代の「無門関」という禅書にのっているそうで、いかに昔から人間は人をだますことに知恵をしぼってきたことかと思わされます。
文明の発達に伴い、社会化・都市化が進むと、「自然はだませないが他人は容易にだませる」とばかりに、さまざまな犯罪や社会秩序の混乱が起こるようになりました。もちろん、法律や武力などによって混乱をおさめようともしてきましたが、同時に、反社会的行為の抑止力となる精神的支柱として、哲学や道徳、世界宗教なども誕生していったのです。
中国皇帝の言葉に「一寺建立は10万の兵に匹敵する」という言葉がありますが、いわばそれは人間の中の「内なる自然」の要求にこたえるものであったのかもしれません。
内観の思想
宗教の中でも仏教は、「不殺生戒」などの戒律を説くことで、逆に、他の命を奪わないと生きていけない人間の存在に気づかしていきます。いわば自己を見つめることをとおして、とうてい助かるはずのない自分が、見捨てられないで救われていくことに気づくのです。言いかえれば常に自分自身を問題とする「内観」の思想にもとづく「内道」の教えであり、他者を問題とする「外道」の教えとは一線を画すものなのです。
自身を正義とする
自分自身を見つめるといっても、なかなか難しいものです。
ある団体の会計を担当していた時のことです。メンバーの一人の予算の使い方がどうにも納得できません。そのメンバーが担当している任務の肝心の部分には使用せず、個人的に利用する製品の方に重点をおいて予算を使用しているように思えてしまったのです。自分なら決してそういう予算の使い方はしないだろうと思うと、さて、それから心が落ち着きません。そうかと言って直接本人にそれを指摘するのもためらわれ、何日間ものあいだ悶悶とし、だんだん腹が立ってくるばかりです。
「あいつは全体のことより自分の得することを第一に考えているのではないか。」とか「一人前の仕事もしないで、そんなことばかりに頭がはたらく」とか、だんだんとそのメンバーの人間性まで否定して考えてしまっていました。
後日、直接本人と話す機会があり、それとなく言い分を聞くと、必ずしもこちらが思っていたようなことばかりではないこともわかったのですが、それまでの自分の心の動きは、正に自分を正義において相手を断罪し、そのことで「怒り」の気持ちを燃やすということに陥っていたのでした。
自分が関係していなければ、たとえば隣の町内の予算がどう使われていようと全然気にしていないわけですし、本当に正義の立場に立っているつもりなら、国家予算の使われ方などにも、もっと「怒り」をもって注目してもいいようなものですが、そうではなく、狭い範囲で他人の非ばかりが拡大して見えてしまうというのも、実は相手が得をすることによって、自分自身が損をしているのではないかという、「損得勘定」からきていたのかもしれません。このように日常生活においても、常に「怒り」や「ねたみ」の心が沸き起こってくるのが現状です。
悪人正機
『歎異抄』第三章には「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(善人でさえ救われるのだから、ましてや悪人はいうまでもない)という有名な「悪人正機」の文言があります。
ここにいわれる「悪人」と「善人」は世間の常識とは異なり、「善人」とは自分は正しいと思い込んでいる者であり、「悪人」は自らの罪を自覚して苦悩する者のことです。そしてその「悪人」こそが救いの対象だというのが「悪人正機」なのです。
極端な話ですが、たとえば殺人などの重大犯罪を起こした人間であっても、自らの罪意識に苦しんだ末、心から罪を懺悔する気持ちが起こったとしたら、法律的にはともかく、宗教的には救われる可能性があることになるのです。
逆に、表面上は何の問題も起こしていなくても、自らを省みることもなく、ただただ自分一人が正しいという姿勢を崩さない人間の方が、宗教的な救いにはあずかれないということになります。
冒頭の、仏教とは「内観」の教えであるということと結びついてくるわけです。
照らされて見えてくる
罪の自覚といっても、それは自分の努力でできるものではありません。なぜなら自己本位の心そのものが人間といっても過言ではないからです。それには仏さまの智慧の光に照らされることが必要なのです。
念仏詩人の榎本栄一さんの
照らされて
自分の煩悩がみえはじめたら
少し浄土へ
近づいている証拠です
という詩があります。
お念仏を称える日々の生活の中でこそ、わたしたちが本当に救われていく道があるのです。