2008年11月
知能の高い動物ほど鏡に興味を示し、自身の姿を認識するといわれる。この鏡に写った自分を認識する能力を自己鏡映像認識という。洋の東西を問わず、自己鏡映像認識にまつわる話は数多くあり、イソップ物語の犬の話やギリシャ神話のナルシスの話はことに有名である。わが国には吾妻鏡 という落語がある。これらはいずれも鏡に写った自分を他と勘違いする寓話で、大事なことを教えている。私たちは鏡に写った自身の顔は知っている。しかし、その顔はいかに美しく見せるか、いかに立派に見せるかと意識した顔である。泣いたり怒ったりしている自身の顔は、見たこともなければ、見ようともしない。その顔と一番付き合っているのは家族である、ということさえ意識の外にある。まして、形として見えない自分の気持ちがどのように伝わっているか、ということを考えることもない。一見仲の良い親子が些細なことから殺人事件にまで発展するのは何故か。善導大師は「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」といわれる。仏法聴聞の機会に恵まれなかった悲劇であろう。
2008年5月
五月二九日滋賀北教区光源寺において布教大会が開催され、大遠忌の基本理念「南無阿弥陀仏は私のいのち」を課題に四人の布教使が実演した。平仮名で表記される「いのち」とは何か、布教使は夫々の味わいに熱弁をふるった。折りしも前日の二八日、日本料理の老舗「船場吉兆」が七八年の歴史に幕を下した。昨年一〇月に福岡の百貨店で消費期限切れ菓子販売が発覚したのに端を発し、次々と偽装が明るみに出て、二代目社長が引責辞任した。暮れには三代目若旦那が創業者一族の指示を認めて謝罪し、年が明けて心機一転、創業者の娘である女将を社長に立てて本店の営業を二ヵ月振りに再開した。しかしながら、またしても五月二日に「使い回し」が露見するところとなり、老舗の「いのち」である「信用」を完全に失墜してしまった。昔から「親苦労、子楽、孫貧乏」と言い習わしてきたが、人間の作り出す「いのち」は煩悩の垢にまみれて、長続きしないのであろう。途切れることのない無量寿の「いのち」をいただくことこそが、大遠忌の基本理念のこころといえる。
2008年3月
食料自給率が四〇%を切るわが国で、農薬の混入した中国製の輸入冷凍ギョウザが原因で中毒事件が発生した。食料供給において日本が危機的状況にあることを改めて浮き彫りにした。その一方で、食料の二六%に当たる七〇〇万トンを残飯として捨てている。その総額はわが国の農水産業の生産額にほぼ匹敵する一一兆円に達するという。何ということであろうか。そればかりではない。現代っ子の食生活は「ニワトリ症候群」と呼ばれているという。独りで食べる「孤食」、朝食を抜く「欠食」、家族がばらばらなものを食べる「個食」、好きなものばかりを食べる「固食」である。その頭文字を取ればコケコッコーになるというのだ。活力の源は食べ物であり、食事は同じものを家族皆で美味しく楽しく食べるのが原則である。そこに均衡の取れた家族の絆を見ることができる。老若男女を問わず、レストランや会食の席で「いただきます」「ごちそうさま」を口にする人を久しく見かけない。豊かさを追い求める中で食べ物はいつしか餌と化し、人々は畜生道に彷徨い込んでしまった。
2009年10月
この度の衆議院選挙では、予想を遥かに上回る変革の嵐が吹き荒れ、政局が一変した。まさに佛光寺教団が大遠忌法要の標語として掲げる「変わる時代、変わる心、変わらぬ苦悩、変わらぬ念仏」が、現実のものとして示されたということであろう。しかし、傍観 している場合ではない。宗教法人を取り巻く社会環境には非常に厳しいものがあり、その対応を誤れば、教団は間違いなく疲弊して行く。前政権時代から政府は公益法人制度改革に乗り出しており、非営利法人の原則課税制度の必然的成り行きから、宗教法人が課税対象となることは、決して遠い将来のことではない。また、豊かさと便利さの狭間で人々の精神活動は低下の一途を辿り、宗教に救いを求めない人が増えて、参詣者は目に見えて減少している。都会では僧侶を必要としない直葬やお別れ会が急増しているという。そうした時代社会にあって、大遠忌は次世代への念仏相続を断行する、またとない機会といえるだろう。
2009年7月
七月一三日に臓器移植法案が参議院を通過した。一二年振りの同法案の改定で、これによって一五歳未満の子どもからの臓器移植が可能となり、臓器移植を待つ一万人余りの人々に救いの手が差し伸べられることとなった。しかし、そこには様々な問題が内包 される。臓器移植に利害得失のない者からすれば脳死をもって人の死とすることに大きな抵抗感がある。シビ王物語に示されるように、いのちの平等に立つ仏教徒からすれば、神の名の下に人間の意志を正当化する一神教的考え方には違和感がある。すなわち、脳死を認めるということは、私を私たらしめている六〇兆個の細胞に優劣順位を付けることになり、自殺をも容認することに繋がりかねない。命は誰しも救いたい。しかし、そこには自ずと限界がある。「聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」と、『歎異抄』にはある。
2009年5月
人は意識の上では、本音と建前を使い分けているが、思わず本性を現わす場面がある。誰も見ていない時、腹が立った時、大事件や大災害に遭遇した時等である。人目を盗む、後悔先に立たず、火事場泥棒といった言葉が示すように、多くの場合は悪事として現われ る。しかし、そればかりではない。一九七四年二月にブラジルのサンパウロにある二五階建のジョエルマビルの一二階から火災が発生し、一五階から母親がカーテンに包んだ三歳の息子を抱締めて飛び降り、自身は即死したが、息子は奇跡的に無傷で助かった事例がある。ジョエルマの奇跡に限らず、わが国でも大震災で自らの生命を犠牲にして我が子を救った利他行が報告されている。閉園の瀬戸際にあった旭山動物園を復活させた小菅正夫元園長は、「生き物が生きている唯一の目的は、その『いのち』を次の世代にバトンタッチすることである」と語る。教団に課せられた使命は次世代の念仏者を生み出すことにある。
2009年3月
脳の研究が飛躍的に進展した近年、男と女の脳に大きな相違のあることが次々と判明した。男は空間認知力に、女は言語認知力に優れ、それらの相違は狩猟採集生活に起因するという。獲物を仕留めた男は最短距離で帰還する必要から、採集を受けもつ女は、いつ 何処で何が採れるかを記憶する必要から、それらの能力が発達した。一五歳前後から男は危険を察知するために恐怖心を司る扁桃体が、女は収穫を得るために記憶を司る海馬が発達する。妻が結婚記念日を忘れずにいることも、娘より息子の方が慎重であることも、妙に納得できる。人の行動の大半は無意識の判断に支配されるという。人は本音と建前を使い分けているつもりでいるが、本当のところは自身の本音さえ知らずにいるのではないか。意識したことを本音と思い込んでいるのである。『大経』には「心口各異 言念無実」とある。理性や道徳は意識の世界であるが、仏法はその奥にある無意識に光を当てて、人間成就を説く。
2009年1月
視覚情報を写真に撮ったように記憶する能力を直観像といい、チンパンジーのそれは人よりはるかに優秀である。人もかつては素晴らしい直観像を持っていたが、言葉を話すようになって、聴覚情報の処理に記憶力を振り向けるようになってから低下したという。その聴覚情報の処理は時の流 れという時間軸に拘束されるという点で、いつでも好きな部分を取り出せる視覚情報処理と大きく異なる。例えば、電話番号は見るより聞いた方が早く正確に覚えられる。しかし、聞いた番号を逆から言えといわれれば答えられない。人は言葉を話すようになって、物事には順番があるということ、すなわち因果律を無意識の内に身に付け、思考能力の面で劇的な進化を遂げたといわれる。釋尊の成道も、この因果律に基づく縁起の道理に拠っている。テレビゲームに没頭する余り現実と仮想を区別できない子どもが生まれたとの指摘もあるが、一方通行の視覚情報処理に追われる現代生活には、どこか無理がある。リアルタイムで聴覚情報処理をする他者との対話に心掛ける必要があろう。
2010年9月
今年の一月末にNHKスペシャル「無縁社会」が放映され、社会に大きな反響が渦巻いた。誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が、年間三万二千に達するという。とくに三〇代、四〇代には自身の未来像と映ったのか、インターネット上で「祭り」といわれる異常現象が頻発したという。そして、この夏には足立区で百十一歳の東京都最高齢男性という人物がミイラ姿で発見され、それを皮切りに全国各地で住民票のみが残る行方不明高齢者の存在が次々と明るみに出た。しかも、家族自身も本人には何十年も出会っていないという。いつの間に人間関係がこうも乾き切ったものになってしまったのだろうか。マスコミは終身雇用の消滅、個人情報保護法の壁といった様々な問題点を指摘する。しかし、自由には責任を伴うというのは社会規範の原則、それを個々人がいかに自覚するかということこそ課題である。その意味では、心の砂漠化の真の原因は自身を内観する宗教を失ったことに因るといっても過言ではない。
2010年5月
参議院選挙を目前に控え、沖縄の普天間米軍基地移転問題に絡んで政局は大揺れに揺れている。沖縄県民の宿願に応えようとすれば、県外移転先住民から猛反発を受ける。県外移転を断念すれば、沖縄県民や県外移転を支持する人々から裏切り者呼ばわりされる。首相は、五月末 決着の予告通り日米共同声明を発表し、社民党が連立政権を離脱した。政治は元よりハンドルであり、右に切るか左に切るかは為政者の判断にある。どの道を選ぼうとも非難と恨みを買うことになる。言葉を駆使した八方美人では国を治められない。首相は、政治的信念に基づき沖縄県民の皆様方の理解を得るよう努めると語ったが、話せば話すほど自身の無能を露呈することになった。信念は軽々しく口にすべき言葉ではない。政治は有言実行であってこそ、信念の人といえるだろう。
親鸞聖人は、本願に信順して歩む宗教的信念を「ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず」と、『教行信証』後序に吐露しておられる。
2010年3月
新年早々、小沢一郎民主党幹事長の政治資金管理団体「陸山会」の虚偽記載問題で、衆議院議員を含む三名の秘書が逮捕され、政治と金を巡って国会は波乱含みの開幕となった。また、経済界では日航クループが戦後最大の負債二兆三千億円余りを残して破綻した。あたかも戦後の高度経済 成長路線の終焉を象徴するかのような出来事である。統制経済による平等を謳って建国されたソビエト連邦は六十九年で崩壊した。明治維新を契機に富国強兵路線を突き進んだ我が国は、七十年後に日華事変を経て第二次世界大戦へと突入した。敗戦から六十五年を経た今日、我が国は大きな時代の転換期に差し掛かっているといえるだろう。七十年といえば人の一生の長さであり、携わる世代でいえば三世代である。昔から「親苦労、子楽、孫貧乏」と言われる。有量の人智に依る限り、相続には限界があるのだろう。聖人は「智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく 光暁かむらぬものはなし 真実明に帰命せよ」と、阿弥陀仏の智慧を讃嘆された。念仏が相続されてきた所以であろう。
2010年1月
初詣は日本文化を最も象徴する風物詩の一つであろう。多くの人が新年を寿ぎ、一年の無事と平安を祈る。誰しも悲しく辛い思いはしたくない。元旦に良い年であって欲しいと願うのは万人に共通した思いであり、微笑ましくもある。だが、その思いに「欲」と「願」の違い目のあることに、 どれほどの人が気付いているだろうか。覚悟を伴わない思いは欲であり、はかない夢である。夢であれば早く覚めるに越したことはないだろう。苦楽を共にする、悲喜交々、損得は糾える縄の如し、生死一如といった言葉がある。これらは楽だけが、喜びだけが、得だけが、生だけが存在することは決してないということを教えている。いずれの事柄も表裏一体の関係にある。にも拘わらず、私たちは都合の良い方のみを切望して止まず、夢見心地に空しく時を過す。『歎異抄』十三章に、「さればよきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはそうらえ」とある。この一年、何が起こるか分からない。覚悟を伴ってこそ願いとなる。
2011年9月
民主党政権が誕生して二年余り、早三人目の首相となる野田内閣が9月2日に発足した。内閣支持率65%を獲得したのも束の間、閣僚の失言が相次いだ。大臣に就く者は、政治的判断力のみならず、担当する夫々の分野の現状認識と、世界の最新情報を常日頃から把握しておくことが要求さ れる。野田総理は適材適所の人選と大見得を切ったが、全員野球の下に素人を任命すれば、失言が飛び出すのも当然のことである。首相の任命責任は免れるものではないが、自らの器量もわきまえず、大臣の椅子に目の眩む政治家もお粗末至極である。親鸞聖人は、主著の『教行信証』を締めくくるに当り、「今時の道俗、己が分を思量せよ」と化身土巻に記しておられる。拘ることなく、偏ることなく、自らの器量を自覚せよと、言われる。政治家ばかりの話ではない。3月1日に放映された「岐路に立つお寺」での信頼度調査は、僧侶の無自覚ぶりを証した。すなわち、仏教は信頼できると答えた日本人が90%に達するのに対して、寺院はわずか20%、僧侶に至っては10%であった。
2011年6月
東日本大震災が世界に速報されたとき、各国のメディアが驚嘆と称賛の声を上げた。被災地の人々が規律正しく助け合いながら苦難に立ち向かっている、と。昨年1月のハイチ地震では略奪が横行し、非常事態が宣言されて夜間外出禁止令が出された。アメリカ合衆国でもハリケーン災害が 起きると必ず買占めや便乗値上げが発生するという。人気急上昇中のサンデル教授が、インターネット中継を用いた討論授業で、米国・中国・日本の学生に日本人の震災対応について尋ねた。4月16日に放映されたが、その中でも被災地の人々の行動に敬意の声が寄せられた。そうした日本人の特性は、自国の風土と仏教思想によって培われたと言えば言い過ぎだろうか。我が国は四季の変化に加えて台風や震災といった人知無効の災害にしばしば見舞われる。清沢満之大谷大学初代学長は、「人事を尽して天命を待つ」という中国の諺を、仏教徒であれば「天命に安んじて人事を尽す」であるべきと言われた。世界の人々は、その無常観に立った被災地の人々の行動に感動したのではないか。
2011年3月
京都大学をはじめ有名大学入試問題が試験中にインターネットの「質問サイト」に投稿されるという事件が起きた。倫理欠如型犯罪として大きな社会問題となっているが、韓国では既に七年前に携帯電話を用いた大規模な入試不正事件が摘発されており、中国では携帯を使ったカンニング機器が市販されている。社会的背景に多少の違いはあるとしても、志望校に入るためには不正も辞さずというのは、国が変わろうと、時代が変わろうと同じである。社会秩序維持に向けて事件の背景を解明し、再発防止策を講じなければならない。しかし、それだけでは問題は治まらない。有名大学を目指す若者は、如何にして自身の「分限」を見極めるかということこそ、根源的な課題である。不正に走ったことは許されないが、犯人はその分限に気が付いていたのである。しかし、実力で入った者は、努力さえすれば望みは叶えられるという妄念に囚われたままである。オウム真理教は有名大学生ほど洗脳され易いことを証する。道を究めた祖師たちは異口同音に自身の愚かさを表白している。
2011年1月
「宗教は民衆のアヘン」と語ったのは、共産主義を理論構築したマルクスである。王権勢力と結びついた当時のキリスト教を批判したものだ。宗教の眼目は内観にある。内観とは自己を見つめることであり、自身の本当の姿に目覚めることによって、人は救済に預かるのである。他人を動かすために信心を利用すれば、いかなる宗教といえどもアヘンとなる。法の華の霊感商法が社会問題化した時、精神科医が「人が神に語りかけることを祈りという。だが、人が神の声を聞いたというなら、その人は統合失調症、さもなくば詐欺師である」と語った。歴史を紐解けば、戦争は神の正義を語る為政者の下で幾度となく繰りされてきたことが分かる。家庭崩壊が進む現代社会では名聞利養を目論む新興宗教が雨後の筍のように誕生した。家に伝承された宗教に触れていない若者が標的となっている。今は宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要の年である。今こそ、聖人が自らの家庭生活を通して戴かれた本願念仏を顕彰し、家族の絆を考える運動の下、念仏相続に取組む機縁である。
2012年9月
今年のロンドンオリンピックは数々の話題を呼んだ。その中でも、体操の内村航平選手と短距離のウサイン・ボルト選手は、金メダルの最有力候補として世界の注目を集めていた。その二人をNHKが一年にわたり、科学的手法を用いた密着取材を行ない、オリンピック開会直前に「ミラクル ボディー」と題して放映した。驚いたことに彼らは、優れた身体能力を元から持っていた訳ではなく、出る力を如何にして出し切るか、ということに心血を注いだのだった。内村選手は、小学生の頃から両親が経営する体操教室で体操を始めたが、目立つような選手ではなかった。しかし、体操教室に導入されたトランポリンで楽しみながら、自分でひねりの練習を繰り返した。彼の努力を惜しまない好奇心に満ちた練習が、内村選手の類まれなる空中感覚を育むことになった、と番組は紹介していた。彼は「自分の中にもう一人の小さな自分がいて、自分を動かしている」と説明する。まさに他力に通じる極意といえる。出す力には無理がある。それがオリンピックの魔物の正体なのだろう。
2012年5月
宗学院研修会特別講義「人間生活とエネルギー」で一九世紀に発見されたウェバー・フィフナーの法則を知った。「感覚の強さを等差級数的に増すためには、刺激の強さを等比級数的に増さなければならない」という。平たく言えば、月々十万円もらう人が、一万円昇給すれば喜ぶが、月々百万円もらう人が一万円昇給しても、それほど喜ばない。十万円昇給してはじめて、十万円の人が一万円昇給したと同じ程度に喜ぶ、というのである。この法則をエネルギー問題に当てはめれば、わが国が高度経済成長の路線を維持しようとすると、エネルギーの消費量は等比級数的に増大することになる。さすれば、エネルギー供給は追いつかず、他国との軋轢は避けられなくなる。そればかりか、制御未確立の原発を用いれば地球環境に深刻な打撃を与えることになる。飽くなき欲望を持った人の心ほど、度し難いものはない。思えば、釈尊は二千五百年も前に「例えヒマラヤを金に変えても人の貪欲を満足させることはできない」と喝破された。目を開けて寝ている人の目を覚ますのは難しい。
2012年3月
東日本大震災が発生して1年余りが経つ。避難者数は未だに33万人を数え、放射能に汚染された瓦礫は引受け手もなく放置され、復興は遅々として進まない。目に見えない放射能は、時間が経過しても思わぬ場所や物から検出され、関係者を困惑に陥れている。放射能への恐怖心は噂を生 み、噂は恐怖心を煽り、風評被害の混乱は一向に収まる気配がない。巨大地震に端を発した福島原発事故は、災害の様相を一変させるとともに、現代人に大きな課題を突き付けた。環境破壊の深刻さである。地球物理学者の松井孝典氏は、人類が狩猟採集生活から農耕牧畜生活へ移行した約1万年前を起点に、人間圏という概念を導入して地球システムを考えるよう提唱した。その上で人間圏の誕生から始まった環境破壊は、現代に近づくに従ってその規模と速度を幾何級数的に増大させてきたと指摘する。今や環境破壊は地球生命存亡の危機に直結する事態となった。後悔先に立たず、環境保全への個々人の意識向上こそ急務である。そのためには、少欲知足の仏教思想の普及が不可欠だろう。
2012年1月
成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり。勤勉を信条とする日本人の好きな標語の一つだ。努力することは生きて行く上で必要不可欠である。だからと言って、努力すれば思いが全て叶うという訳ではない。否むしろ自身の努力のみを拠り所とすれば、人は自滅する しかない。昨年の大震災は人の努力が一瞬にして無に帰すことを白日の下にした。人は自身の努力が全くと言ってよいほど当てにならない諸行無常の世を生きているのである。しかし、その無常の世にあっても人にできることは努力しかない。平成17年の公共広告機構の標語に「命は大切だ/命を大切に/そんなこと/何千何万回/言われるより/「あなたが大切だ」/誰かが/そう言ってくれたら/それだけで/生きていける」とあった。「あなたが大切だ」との声が聞こえれば人は如何なる苦境に陥ろうとも努力できる。いつの時代にあってもその声が無くなることはない。問題は聞き取る耳を持つかどうかにある。声なき声を聞き分ける人こそ、「他力の信心うるひと」と言えるだろう。
2013年3月
東日本大震災から2年が経った。あの日を境に人々の口にする言葉が180度変わった。無縁社会・孤独死・心の砂漠化といった寂しい言葉が影を潜め、助け合い・仲間・家族の絆など、人と人とのつながりを表わす温かい言葉が飛び交うようになった。その年の暮には1年を表す漢字に絆が 選ばれた。昨年は自殺者数が2万7766人と15年ぶりに3万人を割った。それこそ、人々が絆の大切さを意識するようになったからではないか。一口に絆と言っても、その受け止め方は千差万別だろう。戦前の大家族を経験した世代は足かせと捉え、戦後の核家族社会で育った中年は、「妻自立、子ども独立、おれ孤立」の川柳のように、家族の絆の弱さに戸惑いを隠せないでいる。家庭崩壊の進む社会に生きる若者には、家族から連想する言葉に絆は存在しない。絆とは本来「馬や犬や鷹などの動物をつなぎとめる綱」のことで、短すぎても長すぎても役に立たない。つまり、絆が希薄だと不安に陥り、濃密だと不自由に感じる。人は、他人と適切な距離を保って初めて、人間となる。
2013年1月
廃園に追い込まれた旭山動物園を、日本一入場者の多い動物園に復活させた小菅正夫元園長は、行動展示の大切さを指摘する。人間でも監獄に入れば、退屈で苦痛な時を過ごし、生気を失う。行動展示とは動物の自然のままの姿を見せることにある。つまり、檻の中でも自然界と同じように動 物たちが緊張して生きるような工夫を施す。例えば、一日の大半を餌探しに費やすサルには、餌が簡単に手に入らないようにする。すると、生き生きとして行動し始めるという。また、自然界では多様な動物が共存している。そこで、異なった動物を同じ檻の中に入れてやると、互いに警戒して距離を測りながら活動するというのだ。人間といえども緊張感を失えば、飽き足りても満ち足りない人生に終わる。いま30年前に出版された子ども向けの『地獄』がブームになっているという。地獄絵は私たちの内奥に潜む地獄の境界をえぐり出し、罪意識を醸成して緊張感を喚起し、人として歩むべき道を指し示す。緊張感の欠如という現代社会の闇は、宗教の喪失に起因すると言えるだろう。
2017年11月
お茶所同行が亡くなられた。娘さんと二人暮らしの七九歳。奥様の死をご縁にして約十年、毎日のように聴聞してくださった。台風による大雨暴風警報が発令中、布教使の先生を待たせてはいけないと、びしょ濡れで歩いて来られたという逸話もある。
八月、胃癌が発覚。末期だった。お見舞いに寄せてもらうと、すっかり痩せた体を起こし、「まさか自分が癌になるとは思いませんでしたから、煩悩一杯の私でしたね。今は静かに、最期の時を待たせてもろてます。」そうおっしゃった。終始、穏やかな笑みをたたえながら、阿弥陀様のおはたらきを讃えられ、お念仏に出遇った喜びを語られた。一度だけ、お茶所の皆さんに会いたいなあと、泣き笑いの涙をこぼされた。私は終始、涙が止まらなかった。
ついぞ、娘さんと一緒に聴聞なさったとは聞かなかった。ところがお通夜。列席した私は密かに驚いた。娘さんの口がかすかに動いている。見間違いかと目を見開いたが、正信偈のリズムに合わせて動いている。目に見えないご本願が、無量の寿が、死を通して生き生きとはたらく場に出遇い、また一声、口から南無阿弥陀仏が出てくださった。
2017年7月
不思議なご縁で、初孫に恵まれた。抱いてあやしたり、あぐらに組んだ足の中に入れたりできると思うと、自坊に帰るのが楽しみで仕方ない。改めて驚いたけれど、赤ん坊って生きるのに必死だ。必死に声を挙げ懸命に全身を動かし、疲れ果ててぱったりと眠る。自分ひとりでは「死が必定」だからこそ、生きるには周りの「お育ての力」に依るしかない。赤ん坊は一〇〇%「お育ての船」に乗っている。数ヶ月が経つ頃には、母親の船に乗っていることが分かると、安心して笑うようになる。
私はいつ、その船を降りたのだろう。いや、今も「お育ての力」を受け続けているのに、いつ降りたつもりになったのだろう。そして再び、「難思の弘誓は難度海を度する大船」と、乗船の勧めに出遇った。自分の傲慢さに目覚めさせてもらい、背負ってきたものを棄てて、「お育ての船」に乗って安心して笑えたとすると、それもまた自分の力ではない。ひとえに宗祖や先人や初孫、そんな善知識の皆さまのおかげだと思う。諸仏を念じながら船に乗り、笑って暮らしたい。
2017年3月
来月、四月二日は親鸞聖人の八四四回目のお誕生日である。聖人のご生涯は仏道探求の末、無碍の一道の念仏生活であった。聖人滅後、八百年に亘り真宗が繁盛している事は、当然ながら聖人はご存知ない。しかし、「化身土巻」後序に「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり」と示されている。真宗の興隆に疑う余地がない事を、信じて止まなかったのである。聖人は師匠法然上人を「真宗の興隆の大祖」と仰がれたのもそれを物語っている。また、お念仏に出遇われた喜びを「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と頂かれた有名な『歎異抄』後序の一節である。そして『教行信証』総序の文に、「遇、行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」とも示された。今、その流れを汲む私たちは、聖人のご功績の恩恵の上に立っている。毎年勤修される春法要、御正忌報恩講、月次法要、日次法要も、仏恩報謝である。釈尊、七高祖、親鸞聖人へと相続されたお念仏は仏恩報謝以外の何者でもない。六年後、宗祖親鸞聖人御誕生八五〇年、立教開宗八〇〇年法要は大遠忌法要と双璧である。
2017年1月
元旦の日の出は、特別に見える。太陽にしてみれば、太古のいにしえから何等変化はないが、われわれには、一年で一番輝いて見える。新年に抱く期待がそうさせるのだろうか。地平線、水平線からの御来光に何故か万歳をする。命を育む恩恵への感動感謝の表現か。日の出があれば日没もある。仏教徒は日没の方角を西方浄土に喩え親しんで来た。善導大師は二十四時間を日没、初夜、中夜、後夜、晨朝、日中、の六時に定め、読誦、礼拝、讃嘆する宗教生活を確立した。真宗寺院の法要差定はそれが基本になった。阿弥陀さまの光明は『正信偈』に「普放無量無辺光」から「超日月光照塵刹」まで十二光の功徳が著されている。親鸞聖人は『弥陀如来名号徳』に「無量の光十方を照らすこと、きはほとりなきによりて、無辺光と申すなり」と。「弥陀の光明は、日月の光にすぐれたまふゆえに(中略)「超日月光」と申すなり」。と示された。阿弥陀さまの用は光明と名号でわれらを救い賜う。光明と名号は別体があるわけでは無く別々の表現である。光明は摂取不捨の智慧の徳を顕す。智慧は破闇(煩悩を破る)、摂取不捨(摂め取って捨てない)。徳は調熟(われわれを聴聞に導くおそだて)である。今年も光明と名号に抱かれての一年である。
2018年11月
十一月、冷たい時雨が降る頃になると、一人のおばあさんを思い出す。「薄皮一枚が分からんでなあ。また参らせてもろうたよ」が口癖だった。暖かいストーブのそばがいいだろうに、雨合羽を被り、二つ折れの身体を手押し車にあずけて、うつむくように歩いて来られた。そのお姿に、念仏して生きるとはこういうことかと、背中を押される思いがする。
先日、本山にて、ご高齢の先輩とお出会いした。この日はいつもの様子と違った。わしはもう長くない、この頃とみにそう思う、階段の上り下りもしんどくなった、次の約束はできないだろうと言われる。真剣な表情だ。本山に預けてあったお聖教を全部持って帰るとおっしゃって、風呂敷の結び目が小さくなるほど沢山の本を抱えておられた。これは相当重い。見るに見かねて、車で運ばせていただくからと申し上げたのだが、「いただいたご恩は山よりも高く海よりも深しというてな。重たい重たい。頼むさかい、持たせてくれ」とおっしゃって、くるりと背を向けられたのである。私は絶句した。家までどころか、地下鉄の駅に着くまでの間、何度風呂敷を降ろさねばならないことか……念仏に生きるとはこういうことかと、重ねて励ましをいただいた。
2018年7月
初夏の雨にしっとりと濡れて、苔むした中庭の緑が目にしみる。そんな穏やかな日常を破るように、六月四日、職員が襲われて軽いけがをした。攻撃してきたのは二羽のカラス。頭上を急襲されてみると、ものすごい迫力だ。敵意むき出しの相手ではあるが、その背景には、巣から落ちた雛を守らねばという親心がある。実際、よちよち歩きの雛を見ると、同じくよちよちの孫と重なって仕方ない。ところが、参拝者のためにも対応は待ったなしである。雛や親鳥を排除するのか、それとも近づかないように見守るのか。
正解は、現場によって違うだろう。ただ、私たちは仏の願いに生きてほしいと願われている。仏の大悲は、いのちを平等に愛し、共に悲しむ心である。本山の現場では、一羽の雛が役所に引き取られ、もう一羽の巣立ちが皆に見守られた。せめて一羽だけでもという判断の物差しは、孫を始め多くの人々からのお育てであり、お導きにほかならない。
その二週間後には、大阪で地震が起きた。穏やかな日常が激しく揺さぶられ、水が蛇口から出ることも、今日命があることも、何一つ当たり前ではなかったことがあぶり出される。熊本や東日本、阪神淡路といった大震災に遭われた先人から教わったことを、身をもって実感させていただいた。
今日も導かれる、これがお念仏の生活ではないだろうか。
2018年3月
今冬、日本海側では大雪に見舞われ、列車で約四三〇人が夜を明かしたり、国道で約一五〇〇台の車両が動けなかったりした。
そんな中、京都は快晴だった。本山の学生寮前では、春を告げる紅梅が一輪、咲いた。大雪の間に、京都と北陸とを三往復したのだが、肌で感じた命の危険を京都で伝えるのは難しかった。
人はみな、置かれた場所が違う。お互いに理解し合うのは、難しい。
真宗教団連合が一般の方を対象に行った調査によると、「本願」や「名号」など教えの根幹に関わる言葉について、意味を知っている人がとうとう一割を切った。一般の方にとって、外国語を聞くような感覚なのかも知れない。
本山の門信徒アンケート調査では、お墓やお内仏が若い人に相続されない、何とかしてほしいという声が多く寄せられた。仏法が次世代に伝わらないという問題は、指摘されて久しい。厚生労働省の推計によると、将来の日本は、人口は激減するのに、世帯数は増加していくという。老いも若きも一人暮らし世帯が増え、ますます家族がバラバラになっていくのである。
家庭で伝わりにくくなったなら、今こそお寺で伝えたい。年配者はもちろん、若い人まで広く集う場所を開きたい。先人の生きる姿を通して、人から人へと、教えは伝わってきた。雪に覆われたままの北陸ナンバー車が、京都に着いても凄まじさを語ったように。
2018年1月
この時節、本山のお堂は冷える。かわいがってくれた祖父が往生の素懐を遂げたのもこの季節だった。晨朝のとき、お仏飯をひとつひとつ、丁寧にお辞儀してお供えするような人柄だった。祖父は自分のことをワシと言っていた。長くパーキンソン病を患い、晩年には言葉も簡単に出なくなった。その祖父が亡くなる直前、時間をかけて絞り出した言葉がある。「ワワワ…シシシ…ハハハ…」
本山の晨朝は、いつもなら朝七時からだが、御正忌の後半は六時から。本当に芯から冷える。参拝者がなくて朝の布教が中止になった日があり、今日もそうなれば暖房の部屋に入れると思ったそのとき、老夫婦がゆっくりとお堂に上がってこられた。後ろのおばあさんは、一段一段丁寧に、階段を上がってこられる。前のおじいさんに、どちらからですかと伺うと、新潟から、しかも夜行バスでとおっしゃった。ほとんど眠れなかったけど間に合いましたと笑うその顔の、なんと柔らかなこと。後ろのおばあさんの一歩の、なんと丁寧なこと。胸が詰まるような驚きを覚えたとき、わたしは祖父の遺言を思い出した。「ワシは愚かじゃった」と。
暖房に恋々とする心は変わらない。ただ私は、新潟の老夫婦と祖父とに導かれて、ようやく御正忌に参らせていただいたのだった。金子大栄師の言葉が私をつかんで離さない。「その人を憶いてわれは生き、その人を忘れてわれは迷う」
2019年11月
ある時、外のサイレンが続けざまに三回鳴った。非常時の合図だ。まもなく、ひとりのおじじが山門の長い階段から顔を出した。お寺が火事だと駆けつけてきたという。ハアハアという荒い息づかい。歩くのでさえやっとの足でどうやって上がってきたのか…。サイレンを火事だと思い、「お寺さん付近の川でボヤ」という有線放送の「お寺」だけを聞いて飛び出して来られたのだった。「よかったよかった」と言ってこぼされた、しわしわの笑顔が私のひとつの原点になっている。
この秋の台風一九号。川の決壊や崖崩れで広範囲が被災し、多くの方が亡くなられた。福島県の親しい方から「断水でお年寄りが困っている。折り畳み式の給水タンクがほしい。できれば百個ほど。できれば水も。」という連絡を受けた。連絡を受けてから二日後、仲間が現地に駆けつけた頃には、水は大口の寄付者によって保管場所にも困るほどになり、我々の水は行き場を失った。無力である。しかし、駆けつけた仲間は大変な歓待を受け、温かい気持ちで帰ってきた。
現在、仲間の若い女性がひとり、現地行きを迷っている。床板を外して洗う、床下の泥をかき出す、家具の泥を拭く、まだまだ多くの手が必要だ。が、不安だろう。基本、無力である。でも、おじじは何かにつき動かされて参じられた。その念仏の先人を念ずる時に湧いてくる勇気を、伝えてみたい。
2019年7月
五月下旬より、寝殿の解体工事が始まった。現場は土ぼこりに煙っている。重機でつまむような荒っぽさはない。棟まで組み上げられた足場を使い、人の手で解体されている。瓦や土は箕に入れて下ろし、梁や束はチェーンソーでこなして、担いで下ろされる。どこか温かい。
寝殿は、一八六四年の元治の兵火以後、あちこちから材木を集め、仮本堂として建てられた。その歴史とご苦労とが、土ぼこりの中から今、姿を現している。束とは違う場所にほぞ穴が刻まれた古材も多い。手斧(ちょうな)の跡もよく分かる。全焼した本山の危機を知って、皆が結束なさったのだろう。古材ひとつひとつが、体温を持っているようだ。役目を精一杯果たし終え、残念ながら折れていた大梁もあった。東本願寺に展示されている、巨木を運ぶための大ぞりが思い出される。
今まで気付かなかったことの、何と多いことだろう。しかも、私の気付きはほんの一部。『仏説阿弥陀経』には「恒河沙数諸仏」と教えられる。砂粒はひとつふたつと数えられるが、その数はとても量り知れない。
諸仏が無量であるだけでなく、大悲は「無倦」と讃えられ、願力は「無窮」と讃えられる。こんこんと湧き出る大悲の泉。私の口から出てくださる南無阿弥陀仏も、その願泉からの賜ものであるとは、何と瑞々しく、何と温かい教えだろうか。
2019年3月
白書院と南書院の間にある中庭から、シジュウカラの地鳴きが聞こえた。二月中旬。葉を落とした木々のこずえに黒ネクタイの可愛い姿を見つけたくてたたずんでみると、寒椿の花に、なんと抹茶色したメジロまで現れた。苔の上を跳ねていたのはシロハラ。昔、じいちゃんたちがよく食べていたヒヨドリと重なって、ぷっくり丸丸と見えてくる。野鳥との豊かなひとときであった。
しかし、これは因と縁とに依るものであり、因縁が消えれば野鳥も去る。消えるものによって、人生の悲しみは救われない。火に焼かれても消えないものは、何か。
宗祖も法然上人も、村のおじじやおばばたちも、あたたかくて深い本願の海に出遇うことによって、退かない安心をいただかれたのであった。遠い過去から伝わる本願力に出遇って初めて、いのちの根を知り、いのちの根を知って初めて、死ねる。本願海へと還ることができる。そして、遠い未来とも、生死を超えて今、つながる。
ある政治学者は、死者はいなくなったのではなく、死者となって存在していると言う。立憲の主体(権力に歯止めをかけているの)は死者であると言う。だから、生きている者だけで多数決をとるのは民主主義ではないと言う。この驚きの言葉も、本願の海からの発信ではないだろうか。本願は、死んでいない。生きている。この確信の中に、慶んで生きていきたい。
2019年1月
昨年は、新しい御門主が誕生した記念すべき年であった。秋の御正忌報恩講においては、大勢の方々のご協力のもと、人生の依りどころを聴聞することができ、ご満座には、慶讃法会に向けての御消息(御門主のお手紙)が全国のお同行に向けて発布された。どれも、数えきれない無量のご縁のおかげである。
昨年は、大きな天災が続いた。当派のご寺院にも被害は相次いだ。そして、御正忌期間中、晴れない霧のように胸を締め付けたのは、興正派の苦境であった。六月の大地震が引き金となって、両堂が危険な状態となり、御正忌は内勤めにとどめざるを得なかったのである。生は偶然、死は必然。慶讃法会を四年後にお迎えすることも、決して当たり前ではない。何が起きても揺るがない依りどころは何かと、厳しいご縁によって問いかけられる。
自坊の維持すら大変な状況の中、慶讃法会に対する御懇念をお願いするのは、本当に心苦しい。ただ、南無阿弥陀仏の灯を次世代に伝えんがため、伏してお許しを願うばかりである。いま私があるのも、故郷のおじじおばばたちから、先を歩む念仏の先輩から、厳しくも温かいお育てをいただいたおかげであった。ご恩を忘れる愚かさを恥じると同時に、揺るがないご本願にあずかる明るさが、しみじみと喜ばれる。
2020年10月
秋から冬。各地のご寺院で報恩講が勤まる頃である。感染症対策に苦心しながら、お同行と一堂に集えることがこんなに貴重であったか、しみじみと知った。この意味では、コロナは師であり、良きご縁である。お同行が真摯に聴聞なさる姿にも、改めて励ましをいただいた。
限界集落。早くから市街地へ出て行った一人娘さんは、父を亡くした後、全財産の相続を放棄した。空き家は今では小動物の棲み処。大きなお仏壇の前でご法事やほんこさんを勤めたのも遠い昔のよう。一周忌直前に、家具の上に置くお仏壇を迎えてくださったので、いざお参りに。すると、通されたリビングは賑やかな保育所状態。座る場所も定まらず、法事の雰囲気など微塵もないまま、読経を始めざるを得なかった。いかに今まで伝統に甘えていたか、しみじみと知る。法事とは何か、仏壇とは何か、根底からひっくり返された。そして、娘さんの悲しみをたたえた表情からは、宗教の根っこを教えられた。
コロナ以前に戻りたい、古き良き昔に戻りたいと、果たして望むべきだろうか。厳しかった自粛期間、小さな鉄工所では、知恵を絞って足踏み式消毒スタンドを量産し、数百カ所に納品なさったという。マスクなど作ったことのない刺繍屋さんは、工夫を重ねて東京都知事に送り、テレビに映って評判となったという。私たち、隠れ念仏の先人も、厳しい中を懸命に生きられた。そんな先人を憶念しつつ、難度海であっても、今を生きたい。
2020年7月
ここ数か月、世界中の人が欲して止まないのは、新型コロナの治療薬やワクチンであろう。病を嫌うのは本能、誰もが感染したくない。悪評も立つ。治療薬がないと感染は死に直結する。死んだら終わりだ。シケた海に譬えれば、波が収まるまで生きた心地がしないようなものである。
だが、それは冥(くら)い先入観だと教えてくださる声がある。命の長短を問わない無量寿の船がある。荒波は何もコロナだけじゃない、違う波は次々やってくる。波が収まらずとも、この現実を生きていける明るい光の船がある。そう背中で教えてくださった先人がおられる。
このほど出版された『越後の願生寺安心事件』によって明らかになったのは、食べていくのも厳しい時代の中、命より大切な「安心」を懸命に確かめられた先人の篤いお心であった。コロナから命を守るだけでよいのか、その命の中身が空っぽで虚しくないのかと、厳しい呼びかけをいただくのである。
「安心」に生きる時、コロナは禍(わざわい)ではない。事実に直面させてくれただけである。確かに、世間の価値観とは違う。しかし、今こそ宗教的な生き方を讃える絶好の機会である。大悲の船に乗って現実の荒波を生きていかれた先人の教えを、胸を張って発信したい。
私たちは、ご門徒と共に迷い、共に導かれていくほかない。そのためには聴聞しかない。しばらく休止していたお茶所の再開は本当に有り難かった。各地の法座再開の励ましとならんことを、切に願う。
2020年3月
コロナウイルスという目に見えないものに、世界中が右往左往している。ただ、感染症が流行するのは、今に始まったことではない。いつの時代にもあっただろうし、コレラにかかった人を自坊の裏山に何十人も埋葬したと、私も身近に伝え聞いている。医療関係の方に、インフルエンザと何が違うのですかと尋ねたら、致死率が違いますという。なるほど。私たちはウイルスが怖いのではなくて、死ぬのが怖いのだった。
先日、藤田宜永という作家が亡くなられた。福井市出身、行年六九歳。新聞に載った奥様の手記によると、肺がんが見つかって以降、不安と怯えだけが彼を支配していたという。一切の仕事に背を向け、文学も哲学も思想も、もはや無意味だ、とまで言いきった時は、奥様も聞くのが辛かったと。そうして迎えた死は、無情であり絶望であり残酷であったと。
目に見えないウイルスも、先立つ藤田氏も、うららかな陽気を破って、私に死を突きつける。宗祖は、幼くしてご両親と別れられた。法然聖人も、幼くして父のご遺言を胸に刻まれた。念仏の先輩は、きっと仰るだろう。道を求めてほしいと。不安も絶望も、すべてを超える明るい道を求めてほしいと。その願いに、ともに生き、ともに還ろうと。「前念命終 後念即生」というお聖教の言葉や、「信に死し願に生きよ」という曽我量深師の喚び声が、胸に響く。
2020年1月
御正忌報恩講の通夜布教を拝聴した。その中に、九州の隠れ念仏の歴史に触れるお話があった。念仏者が拷問され処刑されてきた歴史である。角度を変えれば、この世の命を失おうとも念仏に生きられた先人の強烈な歴史である。
大切な人を不条理に殺められた時、怒りに身を焦がさない人はいないと思う。香港では大規模デモから半年がたち、衝突による死者も出、警察など権力側に報復せよというスローガンが幅を利かせ始めている。では、隠れ念仏という静かな抵抗は、どうして可能だったのだろう。
九州の弾圧から約三五〇年前、法然門下の念仏者は、時の権力者などから不条理な怒りを受け、住蓮、安楽、善綽、性願という四人を失った。宗祖は、自らも流罪にあいながら念仏に生きられ、『教行信証』の執筆に情熱を傾けられた。きっと、九州の方々の念仏は、宗祖から賜ったものに違いない。宗祖を憶念することによって、ようやく怒りの囚われから離れ、明るさと強さを頂かれたのではないかと思う。
国連の温暖化対策サミットにおいて、一六歳の女性、グレタ・トゥーンベリさんの声が、世界中の若者の胸に響き渡った。その音色は、経済成長ばかりを優先する私たち大人への静かな怒りであった。若者の間にこだまする抵抗と情熱は、念仏者のそれに似ている。今、私は、不条理に次世代を弾圧する権力者だと訴えられている。弾圧の歴史を念じると、恥ずかしい。
2021年11月
自分は死後に極楽浄土などの何らかの異界に往くと考える人が五年前から倍増し、約四八パーセントを占めていることが、一般社会法人お寺の未来総合研究所の調査でわかったという。
新型コロナウィルスの影響で強制的に人間関係が遮断され、孤独や孤立を感じる人が増える中、自分の死後の往く先を考えざるをえない現状に出てきた調査結果であろう。
コロナ禍で通夜や葬儀も家族だけ、もしくは一日葬。法事は延期(中止)という家庭も出てくる中、そうした仏事を不要と考える風潮が高まる一方で、死後の往く先を考える人が多くなってきているということは、自分が本当に安心して帰る場所を心から求めている姿ではなかろうか。
金子大榮師は、我々の帰依処を「生の依り処、死の帰する処」として教えてくださる。「人は死んだらどうなるの」という素直な質問に、はたして僧侶はどこまで応えられるのか。もっと言えば、人はなぜ生まれ、何のために生きるのか。そんな単純な質問に「分かりません」では無責任である。もしそういう答えを出したのならば、それならそれで共にその人と考える姿勢を示さねばならない。
浄土とはまさにその帰依処をあらわすのである。その根幹をなす現代の問題に至急応えていかねばならぬのが浄土真宗の課題である。
2021年7月
五月二十五日の宗会開会識のご門主のご挨拶である。
「最近は新しい概念がいわれるようになりました。EQ、心・感性の知能指数であります。これまでの教育が、IQ知能指数を伸ばすことに力を注いできたため、自分や他者の感情を理解する力、自分の感情をコントロールする力を育てることがおろそかになり、それがやる気や我慢、共感性、謙虚さなどの乏しさとなって現れるようになったそうです。そこに警鐘が鳴らされました。AI(人口知能)社会を生き抜くためにはEQの力、心、感性の知能指数を養う教育がとても大切だという警鐘です。私たちは昔から宗教のある家庭生活が、幼子の情操教育を担ってきた歴史があります。お仏壇に手を合わす生活は意識しないところで心、感性の知能指数を伸ばしているのではないでしょうか。変化する社会にあっても、生き抜くちからとなってくれると信じます」。
家庭、地域社会、学校、会社等、人間関係が崩壊の一途を進む中、コロナウィルスが一挙に崩壊を現実にさせた。学歴社会の競争に打ち勝ち、勝ち組だけが社会に出て作り出す社会。それに対して、相手を敬い尊敬しあい支え合う御同朋・御同行の社会の実現。
御門主のお言葉と日常のお姿に、これからの宗門の在り方と希望を、ご自身の身命を抱えながら置き換えながら、日々ひたすら思惟されていることを、毎日感じさせていただいていることである。
2021年3月
二月二二日は聖徳太子のご命日であり、今年はちょうど一四〇〇回忌に当たる。当派では、二年後の五月に団参を募って慶讃法会をお勤めするとともに、今年の春法要でも御祥当の御縁を大切にお勤めしたい。
人生には孤独という苦難がある。人や周囲と繋がれないというだけでなく、未来と繋がらないという孤独がある。究極的に、死の意味するところが孤独であれば先行きは暗く、人生が虚しくなってしまう。その孤独を超えた明るさが「慶讃」である。「慶は、うべきことをえて、のちによろこぶこころ」、すなわち他力の信心が開いてくださる慶びと明るさである。それを宗祖は、「上宮皇太子方便し 和国の有情をあわれみて 如来の悲願を弘宣せり 慶喜奉讃せしむべし」と仰いでおられる。
「如来の悲願」とは、私たちの心の耳へと呼びかける南無阿弥陀仏である。この明るさに出遇ってほしいという未来からのお喚び声である。同時にそれは、大子のお喚び声であったと、お念仏の歴史に出遇った慶びを宗祖は語ってくださっている。
つまり、私たちには仕事があると仰る。悲願のお念仏を聞くという仕事である。そして、お念仏を呼吸しながら生きるという仕事がある。それがまた、未来へ、次世代へと繋がる種となること疑いないのである。この愚かな私に、広くて明るい仕事を賜る、これ以上の慶びがあるだろうか。
四年に渡り本欄をご縁に聞思させていただいたこと、有り難く感謝する次第である。
2021年1月
惠照様が還浄された。佛光寺第三二代。真承上人に先立たれるなど波乱に満ちた御生涯であったが、いつもにこやかであられた。その慈愛あふれた眼差しで、私たちを仏の子としてご覧になってくださった。佛光寺がこうして今ここにあるのも、惠照様のおかげと、どれだけ感謝してもしきれない。佛光寺にとどまらず、十劫の昔より連なるお念仏の歴史の象徴として、ご本願の温もりを伝え続けてくださった。そして、今度はあなたたちがその責務を全うしてくださいねと、静かにその歴史へと還っていかれた。
密葬の御挨拶の中で、第三三代を継がれた真覚門主は、そのバトンのしるしとして、「みんな仲良くね」という惠照様の常のお言葉を紹介された。死をご縁として、普段のお言葉が生き生きと鮮やかに響き始める。これは、身体の役目を終えられても、先人が願いに生きておられる証であり、無量の寿そのものである。
惠照様の歩まれた跡を慕い、我も今こそと、お念仏の歴史に喜んで加わる覚悟こそ、本願一実の大道であろう。それは、安心してこのいのちを尽くしていける無碍の成仏道である。
いのちを懸けるべきものとの出遇いこそ、人生の幸せである。その出遇いの感動を、いかに次世代へ繋げていくべきであろうか。鬼滅の刃は、いのちを懸けて鬼から人々を守らねばという、数百年を貫く願いに生きる物語である。今の若い人たちも、いのちを懸けて責務を全うすべきものに、本当は飢えているのではないだろうか。
2022年11月
定期宗会で複数の議員より「今、宗教に迷う人たちに本山はどういう立ち位置で、またどういう姿勢で応えていくのですか」という質問を受けた。
人々の不安をお金で取り除くことが宗教なのか。しいては自力によって自分の思い通りになることが宗教なのか。それに対する私たちの立ち位置を発信しないのは、混迷する社会を黙認していることになりはしないかという厳しいご意見である。
ある議員は「不安は私の命」といただかれたある念仏者の例をあげられ、不安の原因を外に求めず、自身を見つめる力をいただくのが宗教ではないかとご教示くださった。また他の議員からは次の言葉を頂いた。「思い通り望みを叶えてくれるのが宗教ですか。そんな自身の姿を知ろうではありませんか。正しい道理に目覚めましょう」。
御門主様は閉会の挨拶で「何より本山は、佛光寺教団、同朋の“心のふるさと”でなければなりません。親鸞聖人に出あい、おみのりをいただいたこの身の幸せを喜べる所でなくてはなりません」とおっしゃた。
不安の中に人にも、人生が思い通りにならない人生を送っている人にもそっと寄り添える場、それが帰依所であるお寺の本来の姿であり、真実の宗教が語られる場である。そのことを社会にもっと知ってもらえるよう歩んでまいりたい。
2022年7月
今回の第二〇三定期宗会で、ある議員が「大雪で本堂の屋根が大破したので修繕の会議をしたら改修の経費は集められないが、解体の経費なら集められるとのことで、寺を廃業することになった」と、寺離れの進む他宗派のご寺院の状況を話された。
修復して新たに寺院を護持していこうという方向性ではなく、なくした方が経済的な負担も少なくて済むというのが大半の意見だったのだろう。それは決して他人事ではない。寺院を支えている者の片隅にある心の表れなのかもしれない。
寺の伽藍の維持管理だけなら風景だけで終わってしまう。しかしその場が生きるための拠り所、すなわち教えの聞ける場であり、安心できる場であればこそ、お念仏を喜んでこられた先人はこの道場に心血の注いでこられたのである。
親鸞聖人は「顕浄土真実教行証文類」において「夫れ真実の教を顕さば、則ち『大無量寿経』是也」と教えてくださる。そしてさらに、「如来の本願を説きて経の宗致と為す、仏の名号を以て経の体と為す也」と結ばれる。
このお言葉は、寺院が、真に如来の本願を説く場となり、仏の名号が称えられる場となり、すなわち真の帰依処となることが、今まさに寺院に求められる相であると聞こえてくる。僧侶として襟を正し、危機感を持ちながら身の引き締まる思いで定期宗会を終えた。
2022年3月
この四月の春法要には、一日目に随応上人二百回忌、家教上人百回忌、並びに宗祖親鸞聖人御誕生法要。そして二日目には来年の慶讃法会の一環として立教開宗八百年法要が執り行われる。
真宗教団では親鸞聖人の著書『教行信証』草稿本が完成した元仁元年(一二二四年)を「立教開宗」としている。
昨年秋、慶讃法要の記念五條袈裟ができあがった。色鮮やかな青色の地に、佛光寺藤の御正紋、異紋の八つかん、そして聖人が日野家の出自であることから、鶴の紋があしらわれている。特に地色の青の色鮮やかさは目を見張るものがある。
「青は藍より出でて藍より青し」という諺が思い浮かんだ。一般的には「弟子が師よりすぐれる」と受け止められているが、優劣という尺度を超えて、師弟ともに切磋琢磨し共に光輝く人生を全うしたお二人のお姿を思い起こした。
聖人は日野家にお生まれになられ、幼くして両親と別れられた。九歳で得度され、困迷の時代を生きる中、師である法然上人と出遇い、念仏のみ教えを共にいただく。まさに暗闇が光明に転じた時である。念仏のみ教えは時代が変わっても色焦ることなくいよいよ鮮やかに光り輝く。その教えこそが浄土を真の宗(むね)とする立教開宗であろう。
聖人は師と教えと出遇いをいただき、一生青春を生きた。新しい五條袈裟の青色が、私たちにみなぎる力を与えて下さるような気がした。
2022年1月
つい一昔前、地方の村々では秋の収穫が終わると報恩講が勤まった。若い人は報恩講に着物や足袋、下駄を新調してもらい、初嫁は着飾って嫁ぎ先のお寺へ初参り。一年の計は報恩講、これが真宗門徒の生活習慣だった。
本山の御正忌も、お陰様で内々ではあるが厳粛にかつ尊嚴に勤まった。
晨朝が六時から始まる二八日の朝、午前五時半から梵鐘が鳴り始まる。近所に住む若い方が、朝早い鐘の音に、寝るに寝られず苦情に来られた。このご時世、ビルや住居の密集する本山周辺、様々な生活形態の中で文句が出ても仕方ないこと。梵鐘の時間変更は事前に掲示することで折り合いがついた。
梵鐘の音を「ご恩ご恩」と聞く事もできれば、騒音・雑音としか聞けない事もある。
一休禅師が元旦に、「ご用心なさい、ご用心なさい」と京の町をふれ回ったという。その時、町の人々は禅師に石を投げつけた。正月のめでたさに、死を忘れ、ご恩を忘れ、漫然と生きる私たちに、今を生きる意味を問うて下さったが、聞く耳は迷惑千万。
元旦が、仏法聴聞の初心の日でありたいものである。
2023年11月
親鸞聖人御真骨拝礼式が、本廟慶讃法会 伝統奉告法要が勤められた後、厳粛に行われた。
歴代の御門主が一代につき一度だけ、親鸞聖人の御真骨に直接お参りすることができる伝統儀式である。直近では明治五年、家教上人の時に一般公開されたとの記録はあるが、御拝礼式は、ごく一部の関係者立ち会いのもとで執り行われてきた。
この度、真覚門主のお気持ちにより、およそ百五十年ぶりに公開法要としてお勤めし、本廟にご参集の皆様にも足利尊氏寄進と伝わる舎利塔に納められた状態でご覧いただいた。
親鸞聖人は「某 親鸞閉眼せば、加茂河にいれて魚にあたうべし」と言われたという。お骨を拝み、それを拠り所とするのではなく、「弥陀の本願信ずべし」が聖人の遺言である。
しかしながら、全国から分骨が本廟に親鸞聖人のもとへと納められ、またこのように御真骨拝礼式を重く勤めるのはなぜなのだろうか。
それはまさに、如来大悲の恩徳に、身を粉にし、骨をくだきても謝してこられた、親鸞聖人のお姿が臆念されることである。
2023年7月
本山において慶讃法会を第一期から第三期まで無事にお勤めすることができました。これはとりもなおさず仏祖の冥助と皆様のご協力の賜と御礼申しあげる次第であります。
「慶讃」とは慶び讃える事。法要当日を迎えるまで、この言葉を課題として何度も向き合ってきました。寺離れ宗教離れが進む中、私たちは本当に慶び讃えて法要を迎えることができるのだろうかと。
しかし法要を終えて実感したのは、一人の力では決して成し得ないことを、多くの方々のご協力により成し遂げることができたという事実でありました。
「末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも ひとりも証をえじとこそ 教主世尊はときたまえ」というご和讃があります。
末法五濁の世においては、聖道の修行で証を得ることができないばかりか、私たちは教えそのものを慶び讃えることもできません。
しかし、皆が集いお念仏を称えるご縁をいただき、困難な状況の中、心と力が結集することで法要を無事お勤めすることができたのは、知らず知らずのうちに阿弥陀さまから私たちに回向された、よろずの衆生を仏に成さんと思う浄土の大菩提心のなせる業だったのではないでしょうか。ここに「慶讃」という言葉の意味があるように思います。
基本理念「大悲に生きる人とあう 願いに生きる人となる」のとおり、慶讃法会とは、如来の願いを受け継ぎ、そして子々孫々へと伝える大切な法要でありました。
2023年3月
四月二日の春法要において第二七代微妙定院真意尼公様の一〇〇回忌法要が勤められます。
意尼公様は、第二五代真達上人の室として万延元年(一八六〇)播州明石城主松平家から御入輿され、お裏方として真達上人を支えられました。
真達上人が御病気のため、慶応二年(一八六六)伏見宮家より六十宮(むそのみや)様(後の家教上人)を法嗣としてお迎えします。同年、真達上人が還帰され、六十宮様は跡を継がれました。ところが明治二一年、思召により伏見宮家へ復帰され、そのために真意尼公は、長子・隆教様(後の真空上人)を養育しながら、佛光寺第二七代の法灯を継がれました。女性としては二人目の御門主でした。
元治元年(一八六四-一八六五)の兵火で両堂その他全てを焼失した中、家教上人の協力のもと、明治一七年大師堂再建、明治三七年本堂落成の他、各建物の再建を完成されます。そして山内坊守及び婦人を対象とした教化の場である婦人教会を設立し、後の佛光寺婦人会の発会になり、また勧学院校舎や教務局を設置し、布教・聞法活動の発展に志されました。
真空上人に法灯を譲るまでの一八年間、真意尼公様は佛光寺教団再建と聞法活動の普及と発展にご尽力されました。多難で混乱の時代に、教団を背負ってこられたその御生涯と御功績に、今我々が何を成すべきか。その使命を、慶讃法会を前にあらためて問われています。
2023年1月
今年も御正忌報恩講が無事勤まり、次のご和讃がふっと頭に浮かんだ
七宝樹林くににみつ
光耀たがいにかがやけり
華菓枝葉またおなじ
本願功徳聚を帰命せよ
式務衆も三年ぶりの全国招集で、それぞれ不安と緊張の中で御正忌が始まった。御正忌前の式務衆講習会では皆、手探り状態で、調子や調和は正直とれていなかったように思える。
しかし講習会後の個々の研鑽、御正忌に向けてのイメージ力が、反省会や習礼を重ねる度にまとまり、緊張しながらも声は調和し、七宝樹林、各人が互いに耀き出す。声はもちろん一挙手一投足がきれいに揃い、その場に居合わすことに喜びを感じ心地がよい。
仏教は従果向因の教えである。今の結果から因に向かう。報恩講の因とは「仏恩報謝」である。それに対して我々の日々の生活は従因向果。今をどう生きるかより、結果が全て。結果が出なければ批判され、存在までもが否定される。
浄土真宗の醍醐味は聞法見仏。色も形もない心(因)の発見。それがお荘厳としてあらわれ出る。本山御正忌報恩講は、まさに本願功徳聚があらわれ出た相である。
2024年7月
五月末、全国坊守会連盟地方大会が大阪において、また勝友会布教大会が新潟教区の広福寺を会所に開催された。コロナ禍により、それぞれ六年ぶり、五年ぶりの開催であった。
寺院の様々な行事は、コロナ禍前の規模での開催が難しい状況が続いている。それにもかかわらず、この度の坊守大会には全国各地より八〇名を越える参加があり、布教大会には五五名の布教使と多数のご門徒が参集し、本堂は一〇〇名以上の聴衆であふれんばかりの賑わいであった。
全国坊守会連盟地方大会では意見交換会が特に活況で、周りのグループの声にかき消され隣の方の発言が聞き取りにくいほどの盛り上がりをみせた。二日目は風雨に見舞われたが、急きょ車での送迎を行うなど大阪教区坊守の皆様の臨機応変な対応によって、予定通り大阪別院へ参拝。教区のエネルギーとおもてなしの心が発揮された大会となった。
勝友会布教大会は、四人の布教使が五年間温めてきたご法話だっただけに、熱のこもった一言一句が聴衆をひきつけた。なによりも皆で集えるなつかしさは格別なもので、僧伽を形成し聞法できる感動と喜びをひしひしと感じる大会であった。
念仏の大道は、共に念仏の道を歩む友や師によって成り立つ。「正定聚の位に住す」とは、まさにそのお仲間入りをさせていただくことである。一人では決して歩むことができない道を、はかりしれない力をいただいて、今、歩ませていただいているのだとあらためて教えられた。
2024年3月
元日から能登半島を中心に襲った地震は震度七。石川県での住宅被害は六万五千棟を超えた。被害の大きい輪島市・珠洲市は復旧の見込みも立たない状態で、亡くなった方は二三八名(一月三一日時点)、災害関連死はまだまだ増える傾向にある。
佛光寺派福井教区・新潟教区も被災され、特に新潟市西区の被害が大きかった。本堂に被害を受けた御寺院や、家に住めなくなり転居した御門徒もおられる。
この苦境の最中に、はたして念仏の教えは力になるのか。いや苦境だからこそ念仏の教えが必要なのだ。念仏申して生きてこられた先人たちは、このような苦難を幾度となく乗り越えられた。
その生き抜く力を親から祖父母から、また地域の方々から教えられている。苦境に立てば立つほど、真宗門徒は仏法を聴聞しその苦難を乗り越えてきた。その先人の苦難の魂を聞くのがまた聞法である。
苦難の歴史を乗り超えた証明が弥陀成仏。そして弥陀に成られた法蔵の魂が、この苦難を通して今、私と成ってはたらき出す。
念仏の教えに生きる力を体現できるのは「今」、「ここ」に生きている「私」なのである。
2024年1月
御正忌報恩講の通夜布教。一一月二七日の晩、熱のこもった七名の布教使の説法獅子吼と、熱心に耳を傾けられる聴衆の熱い姿勢で、底冷えする大師堂に温もりさえ感じる法座となった。
ある布教使より「人は生まれた瞬間、必ず病気になり、必ず老いていきます。
生まれた時から死のカウントダウンが始まっているのです。
生と死との共在、共存の中で今を生きている。不思議な因と縁との偶然の重なりの中でいのちをいただいている」との言葉があった。
生は偶然、死は必然。得難い人間としての身をいただき、様々なご縁の中で生かされていることを当然の事としている私。無明の闇を破る、智慧の光明こそが、当たり前に生きている自分を打ち砕いていく。
通夜布教が明け、御満座。仏法聴聞のご催促が私の姿勢を正させる。