令和2年春法要・御門主御親言

 4月2日、本山大師堂におきまして春法要が勤まりました。
 本年は新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から団体参拝を取りやめるなど対策を講じて、午前は親鸞聖人ご誕生法要を、午後からは佛光寺第20代龍秀院殿随如上人300回忌法要を厳修いたしました。
 記念講演では「人と生まれて~願に生きる生活~」と題し、真宗大谷派聖教編纂室主任編纂研究員の本明義樹 師に講演いただきました。

親鸞聖人御誕生法要 真覚御門主御親言 記念講演 本明義樹 師

令和2年春法要 真覚門主御親言

 今年の春法要は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、規模を縮小してお勤めすることとなりました。我が国を始め、世界中で多くの方が亡くなっておられることに対し、心より哀悼の意を表しますとともに、医療関係者など対応に当たっておられる皆様に対し、心より敬意を表します。

 思えば、私たちが直面しているような感染症の集団発生は、昔から疫病と呼ばれ、何度も流行を重ねてきました。疫病だけでなく、天災や戦乱、飢饉など、先人たちは、現代の私たち以上に、死と隣り合わせの生活を送ってこられたのです。

 現在の状況も、お釈迦さまがお示しくださる通り、病や死という苦しみにほかなりません。目に見えないウイルスは、身体的な苦しみを生み出すだけでなく、強い不安や恐怖を引き起こして、私たちの心を闇のように覆います。さらに、病や死という現実の前では、若さや健康は頼りとならず、地位も財産も無力です。そうした闇は、感染した人や地域に対する偏見となって、私たちの心に現れかねません。差別的な心を自ら律しようとしても、簡単ではないでしょう。

 もちろん、現代の科学的な知見をもって感染の拡大防止を図ることは大切です。しかし、それだけでは心の闇から解放されないからこそ、人は苦しむのです。ですから、こういう時こそ、私たちは先人に学ばねばなりません。たずねれば、共に救われる道を、一筋に求めてくださった先人がおられます。

 例えば、数え年9歳の頃、親鸞聖人は、「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたと伝わっています。嵐が来ればあっという間に桜が散ってしまうように、私もまた死と隣り合わせなのだから、今こそ、助かる道を聞かせてほしいというお心です。

 お釈迦さまは、生老病死という現実に深く心を揺さぶられ、王子という地位も財産も棄てて出家されました。私たちが今、感染症を縁として感じる人生の問いは、2500年前のお釈迦さまの発心と、そして850年前の親鸞聖人のお心と、深く響き合うのではないでしょうか。

 先人は、嵐の中を明るく生き抜いてくださいました。煩悩から離れられない愚かな私が救われる道、つまり仏さまの教えに導かれながら生きる道を明らかにしてくださったのです。お寺とは、その方々を心から敬い、その方々のお言葉を聞いていく場所であります。

 今を生きる私たちも、この法要をご縁として、どのような人生が待ち受けようとも、ともに生き抜ける道を、そして安心して一生を終えていける道を、励まし合いながらたずねていきましょう。

 本日は、ようこそお参りくださいました。